表紙のJulianの誇らしそうな輝く姿!
子ども達は、みなこの世に喜んで生まれてくる。ところが生まれた社会には、すでに様々に人を区別したり生き方を制限するような「線」がある。
20世紀のフランスの哲学者メルロ=ポンティは、知覚の主体である身体を、主体と客体の両面をもつ両義性からとらえ、対象を自分の身体から生み出された知覚を手がかり考えることを提唱した。子どもや人間を、外側からの尺度ではなく、ひとりひとりを真に主体として尊重して理解したいと願う子どもや人間の研究者たちは、このような現象学的人間理解にほっとする。
男の子として性別を区別されるのであろうJulianは、人魚の美しさにあこがれて人魚の世界で過ごす自分に安らぎを感じている。自分も人魚になりたい!とその思いを素直に実行に表していく。そして人魚になった誇らしい姿が表紙のJulianであろう。人魚という想像上の生き物は、古来から融合を象徴してきたものともいえよう。
いのちや思考の有り様は、2項対立で考えたり2分割できるものではなく、グラデーションやスペクトラムな状態なものであろう。男女の区別も(生物学的にも)グラデーションであるのに、世間は男女で2区別できるはずと思い込んでいないだろうか。
Jessica Loveは、声高にそんなことを叫んでこの絵本を描いてはいない。彼女は生まれてから育った環境の中で、また現在居住する地域の中で、いろいろな人たちが実際に友達であり仲間であったようだ。社会から引かれている「線」があっても、その線の無意味さの中で生きてきたのだろう。Jessica Loveが、のびやかに、しあわせそうに描くJulianと、はじめは普通にとまどう感覚も持ち合わせたのであろうが、受け止めて認めていくNana(世間的には祖母に当たるひとだろう)がなんとも素敵だ。
横山和江さんはこの絵本に一目ぼれしたとおっしゃっている。その気持ちがよくわかるほど、Julianは生きることに向かって輝いている。私は2003年からIBBY(国際児童図書評議会)が選定する障害児図書を日本で紹介する展示会に携わってきた。横山さんとはその展示会を通じて出会った。今では、障害がテーマになっている児童書出版が増えたが、当時は展示会の本を訳そうとしてくださる方が少なく、そんな中で横山さんは志をもって、動いてくださった翻訳家だった。横山さんの訳は、まろやかで、読んでいて心地よく、Jessica Loveさんの世界と通ずるものがあると感じる。そして横山さんも、自分が生きてきた中で、分けられることで生まれる悲しさや生きにくさ、そこに生まれる偏見や差別に向き合い続けてこられた一人の人間なのではと思う。
この本の訳書出版を心から応援させていただきます。 攪上久子
公認心理師・臨床発達心理士(都内保健センター母子保健心理相談員)
バリアフリー絵本研究者(バリアフリー絵本研究会・女子美術大学非常勤講師)
お茶の水女子大学 人間文化創成科学研究科 人間発達科学専攻保育・児童学領域(博士課程後期)在学中 バリアフリー絵本表現を研究中。