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漫画家・西原理恵子さんも応援!
アルコール依存症の親を持つ子どもたちに届けたい!絵本の翻訳出版

依存症の親を持ちご自身も依存症となってしまった方から、応援コメントを頂戴しました!

ヤスさん(30代・男性)

 小3で両親が離婚し、兄と自分は父、弟は母と暮らすことになりました。父は建築関係の仕事をしていて、現場に行ったり、家で仕事をしたりしていました。朝まで図面を引いている日もあって、そのあとで僕と兄のご飯を作ったりと、がんばってくれていました。仕事が終われば毎日飲んでいましたが、酒のせいで仕事をさぼったり、仕事中に飲んでいる記憶はありません。それでも、間違いなく依存症でしたね、いま思うと。僕は高校入学3日でタバコを吸ったのがばれて、停学になりました。親ならば怒って当然。だけど、父の怒りようは普通じゃありませんでした。何時間にもわたって延々とゴミ、クズとののしられる。なぜこんなに怒られたのか、それが異様なことだとは、当時はわかりませんでした。自分が悪いんじゃないか、どうしてもそう思います。お父さんがこんなに怒っているのは、子どもの自分がいたらないからだ。そんな気持ちがずーっと抜けないんです。

 その後、父の元を飛び出して母と暮らすようになりました。離れてから分析してみると、父を否定し始めることになったんです。仕事で一緒に現場に入ったこともあるんですが、父の言っていることは正当です。しかし、30分、1時間とずーーっと怒りが続いて周りに巻き散らすんです。周りは黙っているしかありません。自分が怒られたときと同じです。

 でも、父がこんなに怒り続けるのは、父のせいではなく、もちろん自分や兄のせいでもなく、アルコール依存という病気のせいなんだ。やっとそれがわかったのです。このことをもっと早く知っていたら……。子ども、それもなるべく年齢の早い時期にこの病気のことがわかれば、アルコール依存の親をもった子も、ずっと救われると思います。

 

ヤマザキさん(40代・男性)

 最初にあれっ?と思ったのは、小学校5年か6年生のときでした。坂道を一緒に歩いていた父が、「ラジオの声が聞こえる」と言うんです。そんなわけないのに……。

 それが実はアルコール依存による幻聴で、すべてのはじまりでした。当時、父は手術を控えて医者から酒を止められていました。幻聴は、離脱症状の表れだったのでしょう。

 父はその後も飲み続け、依存症はどんどん悪化していきました。「今度の日曜日に遊園地に行こう」と言っても、約束なんか守らない。その日になると父は朝からただ酒を飲み続けているだけです。それが何より嫌でした。

 それに、酔っ払いというのは気分で行動するので、機嫌がいいときだけ家族に愛を振りまきます。たまたまテストの点がよかったとき、「お前はいい子だ!すごい!」とかね。じゃあ、テストで100点取ったら酒を止めてくれるのかって、思うようになります。でも、そんな気持ちは裏切られ続ける。

 夫婦喧嘩はひどくなる一方で、親族会議も開かれました。でも、なぜか話が逸れていって、母が悪者にされるんです。母の金使いが荒いから父が酒を飲むんだとかなんとか……。

 父はその後入院してから施設に入り、いったんは禁酒したのですが、数年後にまた飲むようになっていました。その頃父に、子ども時代のことを伝えました。お父さんが酒を飲んでいて嫌だった、と。うまく伝わったのかどうかはわかりません。その後父は亡くなりましたが、いまでも「子として親を見捨てたんじゃないか」という思いは残っています。それは自分で癒していくしかありません。

 依存症というと、本人を責めるか、本人へのケアが問題にされるだけです。けれど、依存症患者本人だけじゃなく、家族がいるということ、依存症の親をもった子どもが傷ついていることを、わかってもらいたいと思います。

 

(取材協力:東京ダルク)

2016/09/01 14:28