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壊れた母娘関係を正視し、家族の傷を癒すドキュメンタリー
『我和我的T媽媽(同性愛母と私の記録・仮)』を翻訳出版したい!

母・アヌさんを支えたシスターフッド——れ組スタジオ・東京メンバーの若林苗子さんから応援メッセージ!

2017年秋、大阪での「シニア女性映画祭」で、映画「日常対話」を見ました。深く考えさせられる映画でした。レズビアンの母親(アヌ)と娘―この映画の監督 黃惠偵(ホアン・フイチェン)―との対話がテーマと聞いて見たのですが、それだけでない、家族内でのそれまで語られなかった重い歴史が語られ、息つく間もなく見終わったのでした。

わたしは、女を愛する女=レズビアンとして、監督の母親、アヌさんに対して、ある種の親近感を持ちました。ああ、こういう感じの人、日本にもいるな~と思いました。家父長制・異性愛の結婚の強制・男尊女卑の根強い同じアジアで暮らすレズビアンとして、「よくぞ、生き延びてきましたね」と思います。

映画の中で印象に残っているのは、地方の農村出身の母親が、家族から「結婚するよう」説得されて、結婚したこと。性的少数者の運動が可視化されてきた今とまったく異なり、彼女の年代(1955年生まれ)で、それをはねのけるのは、至難のことだったのでしょう。そして結婚した相手が、暴力をふるう男だった。「異性愛の結婚」の残酷さを実感します。

生活の為、アヌさんが立ち上げた牽亡歌陣団(葬儀で、死者を救うためにさまざまな儀式や公演を行う)のことは、初めて知りました。激しい暴力を振るう夫から二人の子どもを連れて家を逃げ出し、生きていくのは本当に大変だったと思いますが、その中でもたくましく生きてきたアヌさん。アヌさんが、周囲に「女性が好き」ということを隠さず、仕事や生活を共にしていたというのも、興味深いです。女の恋人とだけでなく、女性同士の連帯・シスターフッドの中、生きてきたのですね。

性的少数者への無知からくる差別・偏見のため、日本でも当事者がカミングアウトするのには、まだまだ大きな勇気がいります。この映画の撮影・上映を承諾したアヌさん、とても勇気があると思います。虐待を振るう父から母と逃げ、身元を隠すために、小学校を中退、子どもの頃から母の仕事を手伝ってきた娘(監督)。母に今迄言えなかった子どもの頃のつらい体験を伝え、長時間対話し、この映画を完成させたこと、ものすごいことだと思いました。

映画と共に『我和我的T媽媽(同性愛母と私の記録・仮)』が台湾で出版されているとのこと。ぜひ、翻訳された本を読みたいです。このプロジェクトが実現するよう応援しています。一人でも多くの人がこの映画を見、本を読んで欲しいです。
 

若林苗子
1987年に誕生した、レズビアンのグループ「れ組スタジオ・東京」のメンバー

2020/10/16 10:58