映画『日常対話』の編集を務めた林婉玉と、台北でばったり再会したのが2018年2月のこと。彼女からこの映画の話を聞いて、日本でも公開されないものか、見たいなあと心から願っていました。
2020年8月、東京ドキュメンタリー映画祭in大阪でやっと拝見し、このドキュメンタリー映画の視点の広さと深さに驚愕しました。あらすじは、レズビアンである母に、娘である黃惠偵監督がカメラを向けるというドキュメンタリー。家族とはいえど、時にカメラは暴力ともなる。どうして黃監督はそんな方法を選んだのだろう?映画全編を観ると、その疑問はすっきりと解けました。
家族間のタブーは、時がたつほど触れづらくなり硬化してしまうものです。たとえそれが暴力的であったとしても、取り返しがつかなくなる前に、カメラを媒介物として家族の間に置き真実に向き合おうとした黃監督の覚悟。その覚悟の甲斐あって、映画のラストシーンでは見事にそのタブーが融解したように見えます。
また、黃監督は家族というミクロのみでなく、台湾社会の特異で複雑な状況も見せてくれます。世代によるジェンダー感覚のギャップが見えるシーンでは、このテーマが黃監督の家族のみに投げかけられたものなのではなく、社会全体が考えるべきテーマであることを気づかされます。また、母の生業である「牽亡歌陣」(お葬式の際のパフォーマンス楽隊)のシーンが見られることは、とても貴重です。特殊な職業に就き、一人で子二人を育ててきたレズビアンの母が生きてきた時代は、まだまだ自分の手で何かを選択する自由がなかったということ。そしてその時代を経て、今の台湾があるということ。黃監督が自らの家族というテーマを深く掘り下げるからこそ、家族という単位を飛び出て、社会全体の課題が浮かび上がってくるような作品でした。
映画の中では淡々とインタビュアーとなり撮影をしている黃監督ですが、「このシーンを撮影した時、実際はどんな風に感じたんだろう?また、レズビアンである母を撮るという大きな覚悟の裏で、揺れ動いたり、感情の波に押し流されそうになったりしなかったんだろうか。」そういった問いが浮かんだところに、黃監督のエッセイ本がクラウドファンディングにより日本語翻訳されて出版されるというニュース。映像では語りきれなかったパートも多く含まれているとのことで、非常に楽しみです。
黃監督が母と対話した記録は、悩みやタブーを抱えた日本の親子や家族にとっても、救いとなるのではないでしょうか。世界を俯瞰していると、性の多様性について日本は後進国となってしまっています。この書籍が日本で日本語訳にて出版されることが、どんな人も生きやすい時代の形成につながることを期待しています。
山本佳奈子 (やまもと・かなこ)
ライター。アジア(特に中国語圏)のメインストリームではない音楽や、社会と強く関わりをもつ表現活動に焦点をあて、ウェブzine「Offshore」にてインタビュー記事を執筆。不定期に発行している紙のzineではエッセイを書く。尼崎市出身。
https://offshore-mcc.net