こんにちは、サウザンブックスです。
プロジェクト終了まで残り2週間ほどで、あと30%ほどの達成率で出版決定という状況になりました!
先日公開した一部先読み原稿の第二弾を公開致します。
プロジェクト最後まで、情報拡散へのご協力をどうぞ宜しくお願い申し上げます。
驚くべき発見
これから述べる出来事は、十三世紀に実在したあるビール醸造家の一代記に綴られていたものだ。私のようなごく普通の人間が、なぜそのような古い書物を所有しているのか不思議に思われるかもしれない。しかもこれほど貴重で興味深い本を。この本は、グーテンベルクの聖書より百二五年も前に書かれている!
世界中のどの博物館も、こんな宝物を所蔵できれば幸運であろうし、歴史家なら誰もがこのような文献をちらとのぞくだけでなく、熟読したいと願うだろう。
さらにこの本は、ドイツ醸造界で最も名高い一族に関わる秘密にまつわるものでもある。
とはいえ、これは、歴史上最も驚嘆すべき本の一冊を発見したことについての物語ではない。その本の長い歴史そのものである。
それほど貴重な本のわりに、この本にたどり着いたいきさつはあまりに平凡すぎる。だがビールについて書かれた古色蒼然たる本を見つけるのに、ビール醸造の環境ほど適した場所もないだろうといえる。
ビール醸造とモルト製造の専門教育の一環で、私は一九八五年、夏の数週間を、ライン河畔の町アンダーナハにあるモルト工場で過ごした。このモルト工場は十九世紀中葉の創業で、必要に応じて増築を重ねた古い建物の集合体だった。そのため年を経るにつれて、工場はまさしく『迷宮』の様相を呈していた。
数えきれないほどの通路、階段、穀類運搬用のエレベーターやベルトコンベアが、いくつもの発芽室や乾燥室(サラディンボックス)、サイロ(穀物倉庫)、オフィス、作業場を結んでいた。その多くは埃をかぶって汚れており、長年使われていないのは明らかだった。
私たち研修生が、曲がりなりにも勝手を知るようになるにはしばらくかかった。私はよくひとりで内部をうろついては、何か新しい発見はないかと期待したものだ。サイロ内の掃除を命じられた時が、格好の機会だった。
そもそもサイロの掃除は退屈以外の何物でもなかったが、すばやく、誰にも見つからずに逃げ出すことができた。なのでこれは、早朝ライン川に停泊中の穀物運搬船から荷降ろしをする作業と並んで好きな役目だった。
ある日、理想的なシフトが割り当てられた。朝五時に船の荷降ろし、十一時頃に吸上管での作業を終え、その後二時間ほどサイロ内の床を掃いてすませたら、その日の業務は終わり、というものだった。
船の荷降ろしは予定より早く済み、十時にはまた高いサイロをおおう屋根の上にいた。ちなみにここからはライン川の絶景が臨める。骨の折れる荷降ろし作業の後で、退屈な掃き掃除をする気になど全くなれなかった。
少し離れた所にある、階段室を探検することに決めていた。ドアがいくつもあり、一度じっくり見てみたかったのだ。ところがドアには全て鍵がかかっており、期待していた分失望も大きかった。探索はあきらめて、週末に帰省するための荷づくりでもするかとサイロへ戻ろうとしたちょうどその時、もう一つ小さなドアがあるのに気づいた。
そのドアへ近寄ってみると、なんと鍵はかかっていなかった。だがきつくてなかなか開かない。力いっぱい押してようやく開いた。すばやく中へ入り、ドアを閉めた。
中は真っ暗で、空気はよどんでいて、少しカビ臭かった。しばらくしてスイッチを見つけ、電気をつけると、そこは小さな部屋だった。おそらく以前は事務室として使われていたのだろう。濃い色の木材でできた小さくて古い机とそれにおあつらえ向きの椅子、何もかも埃と蜘蛛の巣まみれだった。壁にかかっているカレンダーからすると、この部屋が最後に使われたのは一九二八年らしい。
私は好奇心を抑えられなかった。
もとより魅了されたのは、この部屋の三つ目の家具、ガラス戸のついた小さな木製の本棚だ。鍵が鍵穴に刺してあり、中には本が並んでいる。埃をかぶってはいるが状態は悪くない。
数冊取りだして机の上に並べてみた。このモルト工場の出納帳が数冊あった。穀類の買入、経費、人件費など、全て記してある。
それらを本棚に戻すと、別の一冊が目に留まった。他の本とは材質も大きさも違い、目立っている。
革製の重い表紙は、本当に古いものに見える。古風な料理本のように、凝った装丁が施された大型本だ。革表紙についている大きな星が目を引いた。「ダビデの星」と呼ばれる六芒星(ろくぼうせい)だ。
本を手に取り、ざっと目を通した。手書きの原稿で、非常に古いドイツ語で書かれていてほとんど判読不能だが、それでも数行なんとか読める箇所があった。
渦巻状の飾りの少ないきちんと書かれた部分は、ラテン語だとわかった。すっかり黄ばんではいたが、紙質はかなりよかった。どのくらい古いものなのか、見当もつかなかったが、それでも何か特別なものであることだけは感じられた。
とにかく、これまで手に取った本の中で一番古いものであることは間違いない。ページをめくっていると、紙が数枚落ちてきた。違う素材のもっと白い紙で、より新しい時代のもののようだ。
紙を拾って脇へ置き、本の最初のページを開いた。
「これは、一二四八年に生まれた醸造家ニクラス・ハーンフルトの、高度なビール醸造業についての記録である」
本当だろうか? このモルト工場に中世に書かれた本があるなんて!
それにしても、もし本当に中世に書かれた本なら、どうやってここへたどり着いたのだろう?
それで私は本を持ちかえり、トリーア大学で中世学を教え、古い言語や文字に精通する友人に見せた。友人は本の後ろをめくり、最後の数行にさっと目を通した。
「我が波乱の人生は終わろうとしている。一三二六年の末を迎えることはないだろう。この数年間、人生の節のいくばくかを書き記してきた。我が人生が記録に残すに足りるものであったかどうかはわからない、ただ神を敬い、多くを見聞きしてきたつもりだ」
言語学者の友人は興奮した。
私たちはさらに先を読もうとした。
「上質なこの紙に全てを書き記す。親愛なる読者よ、今あなたの手にあるこの紙に。若いころ、ラーヴェンスブルクの新しい製粉所で聞いた新たな製紙技術によるもので、パピルスのようにみえるがよりきめが細かい。羽根ペンも、従来の羊皮紙よりこれの方が書きやすく、本に綴じるのも簡単だ。あなたが誰であれ、今あなたは、この新しい素材でできたわが国最初の本のひとつを手にしているのだ。
この本を私は五十年以上携えてきた。そろそろ伝えておきたいことを書き残す時がきたようだ。我が人生について、優れたビール醸造術について、そして半生にわたって私を追い詰めてきた、人の姿をしたあのケダモノについても」
畏敬と驚きが入り混じった思いで私たちは本を置き、本の間から落ちた紙を手に取った。一枚目の紙も手書きだった。
「この本は今私が所有している。私が入手するまでのいきさつは長いが、多分語ることはないだろう。もしこれを読んでいるあなたが、この本にふさわしくない場合は、どうか元の場所へお戻し願いたい。一八七八年アンダーナハにて、ビットブルク出身のテオバルト・ジーモン」
これまた何たることか! テオバルト・ジーモンといえば、ドイツ最大手の醸造所のひとつ、ビットブルク醸造所が輩出した最も重要な醸造家である。私は彼については後でまた調べることに決め、次の紙に目をやった。
そこにある署名を見ただけで、この本には何か特別な、神秘的とさえいえる秘密があると確信した。
この紙は次の言葉で締めくくられていた。
「これをもって、この素晴らしい本を活用できる人に見つけてもらうのに最適な場所へ置いておくこととする。一八一九年 ガブリエル・ゼートルマイヤー」
ガブリエル・ゼートルマイヤーはミュンヘンのシュパーテン醸造所の醸造家であり、同時にドイツのビール醸造史に不可欠な存在でもある。彼もまたこの本を所有していたのだ。
しかし、「この素晴らしい本を活用できる人に見つけてもらうのに最適な場所へ置いておくこととする」という謎めいた言葉は何を意味するのか。この本はどんな秘密が隠されているのだろう。私たちは、この分厚い本を読むこと、いやむしろ解読することに決めた。
その後数週間、私は寸暇を惜しんでこの本を読んだ。仕事の時間を削ってまでも。読めば読むほどこの本の価値を確信するに至り、読みながらより読みやすく書きなおそうとしたが、その作業は思ったほど簡単ではなかった。
それで専門教育が終わると、この本をひそかに家へ持ち帰った。自力で解読できない部分は少なくなく、そこは友人に見てもらった。
これから一三世紀~一四世紀初頭の中世の世界へと旅立つことにしよう。案内人は、フランケン地方出身のごく普通の農家の息子で、長い人生の間、複数の修道院に暮らし、ビール醸造の技術を学んだ。町に出て生ビール醸造に着手し、そのために一度ならず投獄された。戦争で戦い、当時知られていた世界の大半を旅した。その間命をつけねらう危険な敵にほぼ常時追われていた。多くの不幸と共に、大成功も手にしたが、人生の最後にはほとんど何も残らなかった。
さあ、ではどうぞ旅をご一緒に!
※原稿は作業中のものになります。完成版とは異なります。