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不妊治療、養子、LGBTQ、子をもたない選択
子どもをめぐるすべての選択を肯定する米国のノンフィクション
「子どもを​迎えるまでの物語」を翻訳出版したい!

第2弾!!『子どもを迎えるまでの物語(The Art of Waiting)』一部先読み

残り40日となり、支援者数も100人を超え、あともう少しで30%達成が見えてきたところです。暖かいご支援、応援をありがとうございます。
先日公開した一部先読みに続き、第一章の一部を公開します。この章では著者自身の不妊治療の体験について書かれています。

 


第一章より


 クリニックでは、医師や検査技師の行うことをARTと呼ぶ。つまり、生殖補助医療(Assisted Reproductive Technology)のことで、試験管ベビーや実験室で生まれた人間という考え方を和らげてくれる。アートは人間的で社会的で、怖くないもの。アートはクローンや複製を作成するのではなく、創造するもの。値が付けられないもの、不朽のもの、人を癒やしてくれるものとして、しばし語られる。アートに多額の資金を費やすことは決して稀なことではない。これは投資なのだ。

 こうした考え方は全て、心を慰めてくれる。自分が考え抜いていようがいまいが、不妊治療の体験そのものが時には苦しくてみっともなく感じるものでも、ほっとするものだ。女性にとって、不妊治療は、自身の体を育むことであり、うまくいけば卵子と充分な子宮内膜を作り、そこに受精卵が着床できるかもしれないものなのだ。ある月の中でその人が取るあらゆる行動、つまりカフェインやアルコールを断ち、クロミッドやフェマーラを飲んだり、ゴナールエフやhCG (ヒト絨毛性ゴナドトロピン)を自分で注射したり、体温と頸管粘液を特殊なカレンダーに記録したりなどの行為は、本質的には母性から来る、くり返し作業の、自己犠牲的なものなのである。ネットの掲示板には女性たちが集まり、クロミッドの周期や、人工授精や、IVFの周期について話し合っており、赤ちゃん言葉の一種が、繁殖の過程に登場する臓器や細胞について語られる時に使われている。卵胞
(ovarian follicle)は「フォリー」、胚(embryo)は「エンビー」、そして凍結した胚(IVFの治療サイクルで使用されなかったものの、将来の治療のために凍結保存される胚のこと)は、「スノーベビー」という具合だ。治療サイクル中の女性に頻繁に行われる超音波検査は、卵胞の子宮内膜組織の発育状況を検査するものであるけれど、妊娠初期の妊婦への超音波検査と変わらない。そこにはプローブがあり、画面があり、何か育っているものがある。

 そしていつも、もっと何か出来ることがあるし、他にも何か試せることがある。ARTのクリニックでは、検査や薬や処置に何万ドルもかけるようになるまでそう長くはかからない。どうして妊娠できないのか考え始めたころ、自分はせいぜい本を読んで体温を測るくらいしかしないと言っていた。次の限度はピルだった。薬は飲むけど、それ以上はしないつもりだった。その次は子宮内授精(IUI)だった。これは比較的安価でローテクな処置で麻酔がいらないものである。自分の支援グループ内の女性たち、退室して病院のトイレで注射を打つ女性たちに比べたら、私はライト級だ。投薬や処置の話の最中、私には何の話かまったくわからないことがよくあったし、毎月参加している理由の一つは、彼女らの怖い話を聞くためだった。自分をその過程から切り離しておきたかったし、諦めた場合に自分が損をしなくて済むことが何なのか知っておきたかった。

 けれど、三年間の試みの後には、諦めるのは難しかった。この惑星のためには、(たとえわずかでも)その方が良いし、私にとっても、ある意味作家としてはこの方がいいのだとわかっていた。間違いなく諦めることの方が経済的な道理にかなっている。二十代前半の自分が、こうした決断を白か黒か、正しいか間違いかでしかまだ見ていなかった頃、私はきっと、何千ドルも不必要な治療にかけるなんて自分勝手で無駄なことだと思っていただろう。むしろ、若い頃の自分は、そのお金を孤児院や小児病院などに寄付しろと主張していただろう。養子を迎えるほうが良い、とか。

 三十四歳の私は、慎重だけれど限られた貯金を持ち、養子縁組の難しさも知っているし、どうしようもなく、自分の体に、機能すべき方法で機能して欲しいと願っている。不妊のプレッシャーと挫折感の大部分は、妊娠が普通で自然で健康なものであり、不妊は稀で不自然で、自分の何かがおかしいという考え方から来ている。普通は予想できる問題でないのに。とても若いころから、私たちは、妊娠はいつか起きることだと警告され約束される。支援グループでは誰かがいつも、自分がここに居ることに驚いている、と言う。

 

2020/04/02 16:34