“kids like US”(「僕らのような子どもたち(仮)」)翻訳出版プロジェクト発起人の林真紀です。
皆さまからご支援を頂いて、プロジェクトが成立してから早3か月が経とうとしており、2019年もあと僅かで終わろうとしています。翻訳作業はほぼ終了し、さらにそれをスタイリッシュかつ洗練されたものに整える編集者さんの力量と、「良書」に関する動物的嗅覚をお持ちの出版社さんと、全員の力がダイナミックに編み上げられ、いままさに作品に命が吹き込まれております。関わった全員が「これはすごい作品になる。関わることができて本当に幸せだった」「読み終わったあとに余韻でボーっとしてしまった」と、私が最初にリーディングをしたときに感じたそのままの感想を言ってくださり、自分の直感は間違っていなかったのだと嬉しく思いました。
ここ数日、世の中では暗いニュースが続いており、発達障害の子どもを育てる親御さんたちの気持ちが引っ張られがちなのを感じます。”kids like US”のなかに出てくるマーティンや、その親友のレイラは、共に発達障害を持つ子どもたちですが、何か天才的な能力があるというわけではなく、小説『失われた時を求めて』やドラマの『ダウントン・アビー』が大好きで、それを繰り返し見ては、そこから世界を解釈しようとしている子どもたちです。発達障害児を育てていると、どうしても「この子に何か人と違う才能があったら」という想いに囚われがちになりますが、その子が大好きでたまらないもの(たとえそれが大人から見て取るに足らないものであったとしても)が、将来その子が一番つらいときに、支えになるということ、私は声を大にして言いたいです。そういう意味で、大好きな小説へのこだわりを通して数々の気づきを得て成長していくマーティンの姿は、きっと私たちに何か大切なものを教えてくれることでしょう。
ちなみに私の息子はゴジラに尋常ではない愛を感じており、最初は「よりによってゴジラ…」とも思いましたし、「数学とか音楽とかに特殊な能力を発揮してくれないものか」とも思っていました。けれども、最近彼はゴジラについて語り合う「親友」ができました。深い友達づきあいがあまり好きではなかった息子にとっては、これはとても大きなことでした。親にとっては「ゴジラなんて…」だとしても、子どもの「大好き」を尊重するということは、何かの突破口になるということ、私は学んだのでした。
と、偉そうなことを書きましたが、私自身も毎日葛藤しています。そしてきっと当事者も、当事者の周囲も、その関わりにおいて葛藤しています。この本のすごさは、その葛藤すらも全部飲み込んで、美しいストーリーを織りなしている点です。(衝動的にいろいろ書いてしまいたくなりますが)これ以上はネタバレになるのでやめておきます。これから翻訳の微調整や装丁デザインの決定などの行程を経て、春には無事皆さまの元に本をお届けできると思います。お手元に届くまで、今しばらく楽しみにお待ちください。
それではみなさま、良いお年を!素敵な2020年を迎えましょう。