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自分たちは、ゲイとして自分を肯定して生きはじめた最初の世代なのかもしれない_。文京区区議会議員の前田邦博さんが目指す社会とは。

昨年、LGBT自治体議員連盟の創設メンバーとなり、同時にゲイであることをカミングアウトして話題となった文京区区議会議員の前田邦博さん。前田さんは、カミングアウトで注目される以前から、長きにわたってLGBTムーブメントに関わってきた。カミングアウトに至る経緯、そして地方から日本を多様性のある社会に変えていく決意を聞いた。

 


母の介護をきっかけに政治家へ

宇田川しい
 前田さんは昨年、区議としてゲイであることをカミングアウトされました。それ以前からLGBTムーブメントと関わってらっしゃったんですか?

前田邦博 20数年、関わってきています。現在の「レインボーリール東京」の前身にあたる「東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」の立ち上げや、プライド・パレードの運営にも参加していたんです。サラリーマンをやりながらLGBTの活動もするという形で、コミュニティの中にはずっといました。
ですから、はじめて選挙に出るとき応援してくれたのは、今まで活動してきたLGBT当事者の仲間と、地元の支援者との混成だったんです。中野区議で、LGBT自治体議員連盟の仲間である石坂わたるさんもボランティアに来てくれていました。

宇田川 区議になろうと思ったきっかけは、LGBTイシューではなくお母様の介護の問題からなんですね。

前田 母がアルツハイマー病を発症して、介護をめぐるさまざまな制度の問題に直面しました。それで個別に区役所に相談したり、請願を出したりする中で区議会とも接触するようになり、そのうちに自分が区議会議員になって当事者の声を直接、届けたいと思うようになったんです。

宇田川 当時、すでに周囲にはカミングアウトされていたんですね。

前田 両親など身近な人にはしていましたが、当時の状況ではなかなか候補者としてカミングアウトすることは難しかったんです。先ほど言ったように、LGBTコミュニティの人たちが選挙を応援してくれていて、わたしがカミングアウトすることが、その人たちのアウティングにもなりかねない状況でしたから。
とはいえ、議員になってからはLGBTに関する問題を議会で質問したり、区役所に働きかけたりはしていましたから、議会や区役所の人たちはわたしがゲイだということは分かっていたと思います。昨年、カミングアウトした時、区役所の人に「今までカミングアウトしてなかったんですね」って逆に驚かれたりしました。

宇田川 いまさらという感じだったんでしょうね。支援者の人はどうでしたか?

前田 支援者の方からは「前田が議員をやっていることは大事だから、マイナスになるようなことはするな」と言われていました。「カミングアウトよりとにかく議席を守れ」と。

宇田川 それでも、カミングアウトすることになったきっかけはなんだったのでしょう

前田 カミングアウトの直接のきっかけはLGBT自治体議員連盟の立ち上げです。入間市議に当選した細田智也さんの祝勝会で連盟を作る話になった。その時に、カミングアウトしていないのがわたしだけだったんです。それでどうするのということになり決断しました。
文京区ではLGBTに対する差別を禁止する条例も通っていますから、それは後ろ盾になりました。渋谷区、世田谷区などでは、いわゆる「パートナーシップ制度」が制定されるなどの理解も進んできていて、支援者の人たちも「そろそろいいんじゃないか」と言ってくれたんです。
もちろん支援者の人でもはじめて知ったという人もいるんですが、「19年付き合ってきて、前田がどういう人間か分かっているから、カミングアウトしてもしなくても変わらない」というふうにご理解いただけました。「誇りに思います」と言ってくれた人もいます。


 

⬛︎ゲイであることを表明しはじめた世代

宇田川
 前田さんは1965年生まれですけど、以前、「先達の方々はいらっしゃいましたが、世代としては、自分たちがゲイとして自分を肯定して生きはじめた初めての世代ではないか」とおっしゃっています。
たしかにそれ以前の世代はいわゆる「偽装結婚」をして、ゲイであることを隠して生きていく人が多かったように思います。最近では偽装結婚というのもずいぶん少なくなったという印象がありますね。

前田 その背景には、社会全体として結婚圧力が少なくなってきたというのもあるでしょうね。

宇田川 80年代くらいから相対主義的な思潮が出てきて、セクシュアリティとか家族についての古い考えも懐疑的に見られるようになってきました。

前田 90年代にはゲイブーム(※1)と言われるような状況もありました。そしてHIVの問題も大きいですよね。当初、ゲイの病気というような偏見がまかり通って、アメリカなどではコミュニティが危機的な状況にもなりました。そういう厳しい状況の中で、アクティビズムが活性化したという面があります。それまで個人的なこととすませていたものが、行政と向き合わなければならない状況が突きつけられてきたわけです。

宇田川 アカーの会の裁判(※2)も90年代でした。

前田 そうでしたね。アカーの会の裁判の結論が出たのが、ある意味でピークだったと思います。アカーの会が勝訴した2年後には石原都政が始まるんですね。それからジェンダーフリーバッシングもあり、と、揺り戻しがありました。逆にコミュニティの中ではクラブでのゲイナイトが盛んになるなど、ある意味でゲイブームが大衆化していったと思います。

宇田川 HIVについての制度的な問題や、アカーの会の裁判にも決着がついて、政治的にとがらなくてよくなり、プライベートではゲイナイトの隆盛や、ネットの普及で出会いに困らなくなって、少しゆるんだ空気になった感はあるんでしょうね。

前田 今またLGBTブームですが、そういう下地があってのものですよね。


 

⬛︎地域だから出来ること

宇田川
 LGBT議連は発足当初、80名ほどでしたが、現在は200名ほどと大きくなっています。地方から社会を変えていくという可能性も期待も大きいのだと思います。

前田 草の根から変えていくということですね。地方自治体というのは多様性があるんです。数百万人という都市から数千人の町まで。それが自治体としてひとくくりにされていて、同じ仕事をしているし、同じ仕事が出来るんです。そして、自治体というのは国のように省庁に分けられることなく、子どもからおとなまですべての人の生活を支えるサービスをするわけです。いわば全てまる抱えで受け止める。ですから出来ることがたくさんある。子育てから、高齢者の介護、街づくりなどすべて自治体のフィールドになるので出来ることは多いんですよ。

宇田川 『In Our Mothers’ House』はレズビアンのカップルが養子を育てる話です。現状では、法的には問題ないにもかかわらず、同性カップルは里親になりにくい状況であり、特別養子縁組もできません。どうしたら、こういった状況を地方から変えていけるのでしょうか?

前田 地方自治体でなにが出来るかは人によるところが大きいんです。どんな人が必要かというと、それには4つあります。理解がある首長、熱心な議会、熱意がある役所の職員、そして組織化され戦略的な市民です。これらの要素の少なくとも2つがあればシステムを変えていくことが出来る。そういう人たちがどこのポジションにいるかにも多様性があり、出来ることが違ってきます。
たとえば役所の中の教育の部署にLGBTの問題について熱心な人がいれば、図書館にLGBTについての本を置こうとか、そういう動きが出てくる。そのポジションで出来ることというのがあります。重要なのは、やれる人が、やれる場所で、やれることをやっていくこと。それが地方自治体の強みだと思います。
それと、よしあしはともかく横並び意識が強いんです。ある自治体がやっていればうちもやらなきゃとなる。ドミノ倒しというかオセロゲームのような形で日本列島全体をレインボーに変えていくことが可能だと思います。

宇田川 家族の多様性が認められる社会を実現したいですね。LGBT議連に期待しています。

前田 家族を作るという権利はたいせつだと思います。わたしが親にカミングアウトしたときに申し訳ないと思ったのは、孫の顔が見せられないということでした。自分でも親になれないというのは悲しくて、自分がパートナーと関わっていた映画祭が、子どものようなものだと考えていました。また20年ほど前に海外で、ゲイカップルが子どもを連れて街を歩いているのを見て、驚いたものです。これからのLGBTは家族を作り子どもを持つことも人生のひとつの選択肢になればいいですね。

 

前田邦博(まえだ・くにひろ)
1965年東京生まれ。文京区区議会議員。アルツハイマー病を発症した母の介護をきっかけに政治にコミットし、1999年無所属新人として区議に立候補、初当選。2015年五期目当選。グループホームの誘致など介護や子育てに関する福祉を充実させた。2017年、4人の地方区議(上川あや・世田谷区議、石坂わたる・中野区議、石川大我・豊島区議、細田智也・埼玉県入間市議)と共に「LGBT自治体議員連盟」を設立。発足の記者会見でゲイであることをカミングアウトした。

 

※1 ゲイブーム
雑誌『CREA』が1991年2月号で「ゲイ・ルネッサンス91」という特集を組んだことに端を発し、映画、ドラマ、書籍などでゲイを扱ったコンテンツが続々、登場。ゲイブームと言われた。

 

※2 アカーの会の裁判
府中青年の家裁判。1990年、動くゲイとレズビアンの会(OCCUR・アカーの会)が東京都の府中青年の家を利用した際、同宿していた団体から差別的な扱いを受けたため、青年の家側に善処を求めるものの、却下される。その後、OCCURが再び利用しようとしたところ青年の家は「青少年の育成に悪影響を与える」として拒否。1991年、OCCURが人権侵害にあたるとして提訴。1997年にOCCURの勝訴が確定した。

2018/05/02 13:52