仲間とともに戦うフランスの在宅教育支援の専門職たち
フランスでは学会や集会のときに笑わせてくれる人を雇い、休憩前や休憩後にみんなで笑う習慣がある。劇団員を呼ぶことが多く、彼らはそれまでの議論の内容をもとにみんなを大笑いさせる寸劇を披露して、参加者をいい気分で次の議論に臨ませてくれる。
在宅教育支援の全国大会は毎年3日間かけて開催され、1200人もの専門職たちが全国から集まる。例えば1つの支援チームが12人で構成されているとしたら、その中から大体毎年2-3人ずつが交代で参加する。もちろんそれは仕事の日数としてカウントされ、交通費や宿泊費、パーティー参加費に至るまで職場で予算が組まれている。大会中は、同じエコバッグに資料を入れ街を歩いているだけで誰にでも声をかけられる特別な期間だ。
「どこで働いているの?」「どんなことが課題?」と、すぐさま語り合える1200人と出会える。連絡先を交換し、「今度遊びに来てね!」「情報交換会しようね!」と言い合えるのだ。全国大会は毎年別の地域で開催するが、主催地域のワーカーたちは1年かけて自分たちで準備する。事務局を外注するわけではない。おもてなしのダンスで迎え、昼食は在宅教育支援の元利用者が経営しているケータリングで、現利用者の職業訓練中の子どもたちが食事を作る。元ワーカーが次々と発表をおこない会場は熱気に包まれる。このワーカーたちの一体感で、みんなで在宅教育支援をもっといいものにしていこう、課題を乗り越えようという気持ちが湧きあがり、自分に仲間が長年いなかったことに気付かされる。仲間がいるからフランスのワーカーたちは戦い続けられるのだろう。
2022年、この会場でみんなを笑わせていたのがパボさんだった。会場の入り口には元ワーカーが作った相互理解を進めるためのゲームや作品などが並び、その一角で『ターラの夢見た家族生活』をパボさんが山積みにしていて、サインを求める列には30人近くが休憩のたびに並んでいた。
「在宅教育支援を描いた漫画があるなんて..」その日は1冊だけ買って帰って読んだ。翌日も大会があるというのに結局夜中の4時まで、ページをめくるごとに笑ったり泣いたりした。ワーカーとしてできることよりできないことの方が多いこと、自分よりずっと賢くたくましい子どもたち、一生懸命やっていても笑われることの方が多いこと、けれど心が触れ合えたような瞬間がたまにあること。子どもと働く素敵な瞬間。ターラちゃんとパボの姿と思い出の子どもたちと心許ないワーカーとしての思い出が交錯する。翌日には出ている残り2冊、デッサン集、持ち金を全部使って買い集めた。
2000年代、当時生活保護を支援するワーカーをしていた私は、日本の生活保護現場でできることに満足がいかなかった。持てるものが少ない国だから成す術がないのではなく、持てるものが多い国なのに困っている人に提供できるものが少ないことが悔しかった。お金があればいくらでも治療法があるのに「あなたにできることはほとんどない」と伝えさせられているように感じていた。日本は国際協力に力を入れていたし、私の働いていた自治体はスポーツの国際大会開催にとてもたくさんのお金を使っていた。私はそれを横目で見ながら、道路に面したマンションの裏にある、陽の当たらない一軒家のわきのブロック道を進み、さらに裏にある、年中水溜りがなくなることのない泥道に囲まれた、外より虫が多く、壁一面カビが生えた家で、病気のお母さんが子どもたちと暮らす家を訪問していた。このような環境しか用意できないのに「元気になって働いてください」と言う福祉だった。
私はついにその後4年近くうつ病になり、精神科病棟に入院した。入院中は生活保護で担当していた利用者さんたちに「安發さん、あのお仕事は大変だよね、大変だったと思うよ、つらかったね」と励まされた。いつも窓口に文句を言いに来て私に怒鳴っていた女性は、夜間それぞれの看護師が何回部屋の前を通ったか知っていて、皆のスリッパの音を聞き分けていた。しょっちゅう入院していてほとんど会う機会のなかった男性は病院での生活の方が長いという。「世界の車窓から」の時間にいつも「安發さん行ったことある場所かもしれないよ」と呼びに来て一緒に見るのを楽しみにしてくれ、退院のときには「ここも甘い思い出になりますように」とピーチネクターをプレゼントしてくれた。
生活保護ワーカーをやめた私は、これまでに会った子どもたちの生き方を多くの人に知らせることで「どんな子どもにも幸せになってほしい」と思ってもらえるのではないかと考え、日本とスイスの施設で暮らす子どもたちのライフヒストリーを本にした。しかし、それでも企業で働く友人たちには「でも、教育の機会があったんだから苦労も乗り越える努力をするべきだったよね」と言われてしまい、関心を集めるには至らなかった。「アフリカの子どもとかは純粋にかわいそうだと思えるけど、日本の困っている人の話は暗くなるから聞きたくないし、むしろ本人や親がどうにかできなかったのだろうかと思う」こんな反応さえも多くあった。フランスでは、生活保護の子どもたち、利用者さんたちに元気になってほしいという話は人を選ばずできるのに、なぜ日本では福祉の話でみんなと盛り上がれないのだろう、なぜみんなは無関心なのだろう……。当時は疑問の答えは出なかった。
うつ病が治り元気が出て2011年に渡仏し、2年かけて大学院に入り、児童保護施設に通うようになった。そこでパリの父や母のような人たちにたくさん出会った。彼らの児童保護や福祉に対する燃えるような情熱は4時間話しても尽きないほどだった。なにより子どもたちが元気になって目をキラキラさせていた。けれど、そのときの私はフランスの学校の仕組みもよくわからない、保健所も日本とはずいぶん役割が違うみたい、と全体の構造を理解するのに3年かかった。さらに、それぞれよりよく知るため毎年100を超える機関や人に会いに行くのに2年を要した。その後、やっとフランスの福祉についてわかってきたと、今度は日本語で発信を始めるが、理解していれば書けるわけではなかった。日本にない概念の説明に苦しんだり、思ってもいなかった解釈をされたり、4年目になる今でもまだまだ四苦八苦している。フランスと比較して日本にとって有益なことを提言できるようになるにはまだ何年もかかるだろう。一方で、12年余り通訳としてさまざまなプロジェクトの成功を影で支える中で、自分自身の成し遂げたいこともいつか成就させたい、このままでは死ぬに死ねないという決意も固まっていった。日本の全ての子どもが幸せな子ども時代を過ごしてほしい、そのヒントがフランスにはたくさんある。まるで求められているとは限らない商品を1人で開発し、生産し、探求するような時間が続いていた。
そんなときに出会ったターラちゃんの漫画は実に衝撃的だった。きっと私が数ヶ月かけて書いてもうまく伝えられているとは限らない論文より、よっぽど日本のワーカーたちの力になるだろう。論文よりずっと『ターラの夢見た家族生活』のようにフランスの現場の哲学や理念や価値がつまったものを訳していった方が日本の後方支援になるだろう。
フランスの福祉だって20年30年前の話を聞くと「子どもの権利」という点では眉を顰めてしまうような話が出てくる。発展というよりも、失敗からの学びと言ってもいいくらいだ。だけど、いまではエデュケーター出身の映画監督、ラジオDJ、ゲーム制作会社社長、そしてパボさんのような漫画家までいて、彼らが世の中にいろいろな手を使って子どもを守ることの素晴らしさを訴え続けている。
私にも戦う方法がある。日本の現場では利用者の人たちの力にほとんどなれないまま戦線離脱した。私には素質がないと思っていた。みんなができることが私にはできず病気になった。けれど、今思えば解決する方法を知らなかったし、解決するための仕組みも十分ではなかった。今の私は、本人の素質の問題ではないと知っている。解決する方法や仕組みを整えることを提案することができる。
自分がワーカーのとき、子どもと隔週で会っても面談という形では十分相談してもらえないままだった。大人たちの車に乗せられるようになり、家には帰らなくなる少女たちもいた。パボさんがマジシャンなわけではないけど、ターラちゃんにとっては「パボがそばにいて、いつでも相談できる」というだけでターラちゃんを取り巻く世界は大きく違ってくる。パボは学校に迎えに行き、一緒にピクニックをして、ターラちゃんの人生の一部を一緒に歩いて支えている。
私が講演などで「信頼できる大人と成長していける仕組みがあれば、子どもの調子が良くなって、親とも協業することができる」と言っても日本の聴衆には「家族のことについて他人に口出しされるのは日本の文化に合わない」と返されることもしばしばだったが、漫画なら姿勢やしぐさ、言葉遣いなども読む人に感じてもらえる。
私はフランスの児童福祉の現場に通い、子どもたちが調子が良くなっていくのに勇気づけられているが、日本で出会った子どももこの制度があればもっと幸せに成長できたのにと、たくさんの子どもたちの顔が脳裏に浮かぶ。私自身もこんな大人がいる中で子ども時代を過ごしたかった。
パボさんは「人生はしたいことを全部するには短すぎる」と言う。私も夢の実現に一番近いことを常にしていたい。私がエンパワメントされたようにこの本は日本の子どもと働く人たちに力を与え、子どもたちをとりまく環境にきっといい風を迎えることになると信じている。私が元気づけられたように、今度は私がこの漫画を日本語翻訳し、皆さんを元気づける側に回りターラちゃんとパボさんの物語を多くの人に届けたいと思っている。
日本の仲間、戦友の皆さんへ 安發明子
まもなくプロジェクト期間も折り返し。35%達成しました!
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