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エイズが死に至る病だった1990年代前半、
医療従事者や患者を描いた海外コミックス
『テイキング・ターンズ HIV/エイズケア371病棟の物語』を翻訳出版したい!

倫理学研究者・大北全俊さん(東北大学大学院医学系研究科[医療倫理学分野]准教授)から応援コメントをいただきました。

大北全俊(おおきた たけとし)さんは哲学・倫理学研究者として出発し、現在は医学部の医療倫理学にて教育・研究に携わられていることからも、医療人文学の実践者です。さらに、日本エイズ学会やU=U Japan Projectなどを通して、HIV/エイズをはじめとする医療・公衆衛生領域の事象にまつわる研究実践活動に携わられています。 


 発起人の中垣氏にクラウドファンディングについて声をかけていただいて、ざっと『テイキング・ターンズ』(英語)に目を通しました。ごくごく抑制された、シンプルな描写がかえって当時の状況をリアルに伝えてくれているように思いました。

 もともと哲学・倫理学という文献を対象にあーだこーだ論じる世界に身を置いていたはずが、気づけば医学部という領域に身を置くこととなり、医療ケアの倫理に関する研究や教育などの諸活動に関わるようになりました。活動の一つに「臨床倫理コンサルテーション」というのがあります。それは病院など医療現場で生じる悩ましいケース、例えば「呼吸器をつければ延命できるけれども本当にそれが良いのか」というようなケースに医療関係者とともに関わり話し合ってなんとか方向性を決めていく、というようなことをします。患者の自己決定の尊重というような原則については広く知られるようになっていると思います。もちろんそれは重要な原則ではあるのですが、実際の悩ましいケースに直面するとなかなか原則通りにはいかない、というかそれぞれのケースでどうすることが本当に患者の自己決定を尊重することになるのか、というようなことは細々としたケースの諸事情、ディテールになるべく多くの関係者が注意を向けないと見えてこないものだ、というのが私のこれまでの実感です。ディテールに注意を払わずに、目につきやすい事象と原則を照らし合わせただけで結論を出してしまうと、時に「倫理」という営みは暴力的なものになる、とも思います。
 悩ましいケースに取り組むとき、そして学生を対象とした教育の場面やより広く社会に問題を伝えていこうというときに、最低限注意を向けるべき細々とした事象を取りこぼしてしまうと、安易で暴力的な判断を生み出す可能性があります。自らの注意力を陶冶する、他者の注意力を喚起する、小説や物語、映画、そしてグラフィック・メディスンといった医療人文学はそのような注意力を磨くための必須の媒体だと私は考えています。

 『テイキング・ターンズ』は、時に過剰な物語性を負わされてきたHIV/AIDSの世界に対して、静かに注意を向けさせる、そういう力を持っているようにも思いました。本書でも描かれていますがHIV/AIDSの医療技術は大変なスピードで進展し、死にいたる病から、適切に治療につながれば何ら変わらず社会生活を送り続けることができるようになりました。平均寿命も感染していない人と変わらないという報告もあり、また最近では、服薬を続けてウイルス量が抑えられていれば性行為での感染力がなくなるということまで科学的に確認されるようになりました(このような状態はUndetectable=Untransmittable、略してU=Uと呼ばれています)。いまはもう、『テイキング・ターンズ』で描かれている世界とは全然異なる世界になっているとも言えますが、薬が行き届かない地域もあり、差別を含め取り組むべき課題はまだまだ残されています。その取り組みの方向を見定めるためには、過去のこれまでのこと、そして大きな出来事だけではなく細々とした出来事を忘れずに留めておくということは不可欠なことではないかと思います。

 しかも、これはHIV/AIDSの世界に留まらず、まさにいま世界中で苦悩しているCOVID-19への取り組みを見定めるためにも必要なことのように思います。目の前の恐怖に駆られてつい短絡的に暴力的な措置を是認してしまうという危険性がある、そういう時に『テイキング・ターンズ』のようなHIV/AIDSの細々とした出来事の記述は、必要とされる注意力を喚起してくれるのではないか、そのようにも思います。
 教育の場面や広く日本の社会で共有するためにも『テイキング・ターンズ』が適切に翻訳され世にでることを願っております。

 


大北 全俊(おおきた たけとし)

1974年大阪府生まれ。東北大学大学院医学系研究科准教授(医療倫理学分野)。哲学・倫理学の視点からHIV/AIDSをはじめ医療・公衆衛生領域の事象についての教育や研究に携わっている。HIV/AIDSの領域でも検査や相談などの活動に従事していたが、最近はU=U Japan Projectというグループを通してU=U(「治療によってウイルス量が抑制されたHIV陽性者からHIVの性感染は生じない」という陽性者の人権に関するメッセージを広める活動に携わっている。
 

2021/02/02 13:01