MK・サーウィック『テイキング・ターンズ HIV/エイズケア371病棟の物語』は、作者自身が1994年から2000年にかけてHIV/エイズケア病棟で看護師として働いていた当時のことを描いたマンガによる回想録(グラフィック・メモワール)。どんな雰囲気の作品なのかより具体的にイメージしていただけるよう、あらすじと数ページの仮の翻訳でご紹介します。
※あくまで仮の翻訳なので、将来日本語版が成立した場合、最終的な仕上がりは若干違った形になっている可能性があります。
物語は、アメリカでエイズ流行がパニックとなった1990年代半ば、HIV/エイズ専門病棟をもつシカゴのイリノイ・メソニック医療センターで、語り手のMKサーウィックが看護の仕事に就くところからはじまります。
語り手のMKは英文学と哲学を学び、大学を卒業後、社会に出て事務職を経験するも、看護師の資格取得を目指して、医療看護系で名門のラッシュ大学に再入学します。MKの母親も看護師であり、MKが17歳の頃に父親が脳梗塞を患っていたことなどから、MKにとって看護の世界は身近なものでした。
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看護実習でエイズ患者の看護に携わった経験をきっかけに、イリノイ・メソニック医療センターのHIV/エイズ専門病棟「371病棟」での病棟看護師としての生活がスタートします。MKが勤務をはじめた1994年頃は、エイズによる死者数がピークに達していました。
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イリノイ・メソニック医療センターは、「思いやりのあるケア」「奉仕の精神」を使命に掲げる1897年創設の伝統ある病院です。1970年にシカゴで最初のゲイパレードが行われた地域にあり、このあたりは「ボーイズ・タウン」と呼ばれていました。
(18頁)
HIV/エイズ専門病棟としての「371病棟」の創設に携わった2人のデイヴィッド(デイヴィッド・ムーアとデイヴィッド・ブラッド。ともに医師)の話を通して、その歴史が語られます。この2人の医師がかつて勤務していた病院はゲイのコミュニティ医療の拠点として発展を遂げていました。ゲイの患者たちが免疫疾患により次々と亡くなり、1982年頃までにこの免疫疾患は「エイズ」と呼ばれるようになりました。予測不能な死に至るこの病に対する恐怖が高まり、医療従事者の間でも患者との接触に不安を感じる声があがっていました。2人のデイヴィッドはこの疾患に特化した医療教育およびケアの必要性を認識し、HIV/エイズ専門病棟をイリノイ・メソニック医療センター内に創設したのです。
(30頁)
MKはそんな371病棟であわただしく充実した日々を過ごしていきます。物語は、彼女の想い出深い患者たちとの交流、さまざまな局面に向き合う際の医療従事者としての「気持ち」、チーム医療に携わる連帯感などに焦点が当てられていきます。
筆致は淡々としていますがその時々の心の機微が、時には彼女が見た不思議な夢に寄り道したりしながら丁寧に綴られていきます。中でも、絵を描くことが好きなMKにとって、同じようにアートの世界を好む患者たちとの交流は特別で、大事な思い出として語られることになります。
(43頁)
1990年代末にかけて治療法が劇的に進歩したことにより、HIV/エイズは死に至る病ではなくなっていきます。その結果として2000年に371病棟もその使命を終えて閉鎖されることになりました。看護師として実績を重ねていたMKは371病棟での勤務に誇りを抱いていましたが、閉鎖に伴い、新しい人生の局面を歩まなければならなくなります。やがて彼女は、一枚の絵ではなく、絵と言葉、そしてその連なりで物語を語ることができるマンガに表現の可能性を見出していくことになるのです。
2008年、MKはかつて371病棟に入院していた元患者を訪問し、患者の視点と医療従事者の視点から371病棟がどのような場であったのかを語り合います。それこそが、本書『テイキング・ターンズ』の出発点でした。
『テイキング・ターンズ』が最終的に出版されるのは、それから約十年の2017年のこと。371病棟での濃密な体験を再構成するには、おそらくそれだけの時間が必要だったのでしょう。
(172頁)
以上、一部翻訳を交えつつ、MK・サーウィック『テイキング・ターンズ HIV/エイズケア371病棟の物語』のあらすじをご紹介しました。本書は作者が看護師として働き始める1994年あたりから、本書が刊行される直前の2016年まで、実に20年以上にわたる長い歳月を語った作品なので、この簡単なあらすじでは拾いきれない貴重なエピソードが実はたくさんあります。このすばらしい作品をどうにか皆さんに完全な形の日本語版でお届けしたい! プロジェクトの成立目指して引き続き頑張ってまいりますので、ご支援・応援よろしくお願いします!