こんにちは。サウザンブックスです。前回の活動報告から時間がたってしまいましたが、9月下旬ごろお届けを目標に、鋭意制作を進めております。校正・校閲を担当した山縣真矢さんから『The Miseducation of Cameron Post』の校正・校閲作業についてレポートしていただきました。
校正・校閲担当:山縣真矢(編集者・ライター/ゲイ活動家)
サウザンブックス社のPRIDE叢書にはいつもお世話になっている。『ぼくを燃やす炎』では帯の推薦文を書かせていただき、『LGBTヒストリーブック』では編集を担当(索引づくり大変だった!)。そして今回、『The Miseducation of Cameron Post』では、校正・校閲の仕事を依頼していただいた。コロナ禍で仕事が激減しているなかにあって、本当にありがたいことである。
数年前、石原さとみ主演の『校閲ガール』というテレビドラマが放映され、「校閲」という仕事が少しばかり注目されたこともあったが(ドラマ自体は観ていない)、校正・校閲は、出版業界の中にあって最も地味で黒子的な仕事である。ほとんど人と会話することもなく、机に向かってひたすら原稿を読み込み、辞書を引き、インターネットや資料を使って調べ、赤ペンで誤りを正していく。誤字脱字、助詞(てにをは)、用字用語の統一、事実確認……。誤りを見落とすと編集者に文句を言われ(電話番号などの重大な誤りを見落とすと罰金が課される場合もあったりする)、かといって、誤りを指摘して大きなミスを回避できても感謝されることはほとんどない。なんとも報われない仕事ではあるが、書籍や雑誌の信頼性を担保するためには欠かせない縁の下の力持ちだ。
僕はこれまで、校正専門の派遣会社を通して、月刊誌や新聞、書籍などさまざまな媒体で校正・校閲の仕事を請け負ってきた。そういえば、某新聞社に派遣されたときに、『LGBTヒストリーブック』の翻訳者である北丸雄二さんが書いた記事を何度か校正したこともあった。校正の作業は編集者の仕事に含まれることもあり、若い頃、音楽系月刊誌を発行する小さな出版社で編集者として勤めていたときには、編集部内で手分けして校正も行っていた。『LGBTヒストリーブック』では校正・校閲も含めて編集を担当した。
大手の出版社や新聞社などには「校閲部」という専門の部署があり、この道何十年というプロ中のプロの校正者が厳しい目で原稿をチェックしている。僕が登録している派遣会社にも「校正の神様」と呼ばれていた人がいて、その人の校正ゲラを時々盗み見ては勉強していたこともあった。神様の何が凄いって、その着眼点や正確さもさることながら、僕がまず感動したのは、ゲラに書き込む「赤字」の美しさ。書き込む文字が綺麗なのはもちろん、文字の大きさも粒が揃っていて、赤線の引き出し方もキレがあって潔く、とにかく、曖昧さや不明瞭さがまったくなく、見やすくて読みやすい。赤字ゲラが芸術作品のように美しいのだ。
もともと注意散漫で大雑把な僕には校正・校閲の仕事は不向きなのは分かっていたが、それでも20年も経験を積むと、神様の足元には及ばないものの、それなりにプロの「校正マン」らしくはなってきたなあと、最近、ようやく思うようになった。
そんな僕が、今回、『The Miseducation of Cameron Post』の校正・校閲を担当することとなり、ひと足先に原稿を読ませていただいた。緊急事態宣言解除直後の5月末、担当編集者から原稿のpdfファイルがメールで送られてきた。pdfで全260ページ。本のページにするとその2倍の520ページくらいになる長編小説だ。まずは原稿を両面印刷。そして、編集者から送られてきた用字用語等に関するメモに目を通し、いざ、原稿を読み始める。
2012年にアメリカで誕生した、レズビアンの少女キャメロンの半生を描いたヤングアダルト小説。内容については、皆さんのお手元に届いたときのお楽しみにしてもらうとして、ここでは校正者の目を通して、読んでみた印象や注意したところなどを少しばかり紹介したいと思う。
実は、翻訳者の方も編集者の方も、まだお会いしたことがない。それなので、事前情報や先入観も特になく、まっさらな感覚で読み進める。本書は、原書が英語のヤングアダルト小説ということもあって、読み始めてまず感じたのは、漢字を「ひらく」ことが多いなということ。校正業界では、漢字を平仮名にすることを「ひらく」というが(その逆を「とじる」という)、全体を通して、平仮名で表記することが多い文章となっていた。
一つの言葉を漢字か平仮名か、あるいは片仮名か、どの文字で表記するかは翻訳者の選択になるのだが、10代の少女が主人公のヤングアダルト小説ということで、読者が比較的若年であることを意識し、また、文字面(もじづら)としても読んだ印象としても、とても柔らかくて瑞々しい印象を醸し出すことも狙って平仮名を多用しているのだろう。そしてその意図は、見事にハマっていた。一方で、平仮名を多用すると、往々にして読みづらくなってしまったりもするのだが、そのあたりは、語順や漢字の混ぜ方や読点の入れ方などを工夫し、考え抜いて書かれているんだろうと想像する。とても読み進めやすかった。
そんな完成度の高い原稿ではあったが、同じ言葉に対して、こちらでは漢字、あちらでは平仮名と、表記が乱れているところも多々あって、そして、こここそが校正者の出番であり、面目躍如たるところなのだが、表記が揺れそうな言葉をメモに取りつつ、原稿を行ったり来たりしながら、表記の統一を進めていった。本書の校正では、この表記の統一が最も比重の高い作業であった。
例えば、今回は英語の翻訳本なので、英語の発音をどこまで忠実にカタカナに置き換えるか、といった問題も出てくる。典型例としては、英語の「v」の発音を「バビブベボ」と「ヴァヴィヴヴェヴォ」のどちらにするのか。どちらかに慣例化している言葉もあれば、微妙で曖昧な場合もある。ミュージシャンであれば、日本で音源をリリースしている会社の表記に則るといった場合もあるだろう。あるいは、「ヴ」を採用するとしても、英語の発音により忠実に表記すれば「ハーヴィー・ミルク」だが、日本では「ハーヴェイ・ミルク」が一般化している。どちらを採用するかには、翻訳者のこだわりもあったりする。と、細かいことを言えばキリがないのだが、とにかく、ある言葉に対してどの表記を採用するのか。そういった細かいところまで気を配って、原稿を書き、校正作業をしていることを知ってもらえると嬉しい。
校閲では「事実確認」も重要なポイントではあるが、本書は小説、つまりフィクションなので、確認する事項もあまり多くはなく、例えば、物語の中での時系列や人間関係、位置関係などについて「矛盾がないか」を意識しながら読んでいく程度で、あとは、実在する地名やミュージシャン、楽曲なども登場するので、それらについては、インターネットで検索して確認していった(便利な世の中になったものだ)。その際、せっかくアクセスしたついでに、楽曲を聴いたり、その場所の地図や写真なども眺めて、この物語の背景にある時代や土地柄、景色などにも触れて、物語の世界を旅しながら楽しく仕事をさせていただいた。特に本書で記述のある1959年にモンタナ州で実際に起こった地震については一度、読む際に調べてみることをおすすめする。
ちょうど、昨日(7月14日)、僕の最初の校正(初校)を踏まえて修正した原稿を、デザイナーさんがレイアウトに流し込んだゲラがそろそろ上がってくると、担当編集者さんからメールがあった。今後、そのゲラを受け取ったら、「初校」で指摘したところがどのように反映されているのか、修正されているのかを確認しつつ、改めて、出版される本と同じレイアウトのものを「素読み」していくことになる。誤字脱字はないか、表記は統一されているか。いよいよ校正作業の最終段階だ。
今秋、きっちり校正・校閲された(だろう)本書が、皆さまのお手元に届き、喜んでもらえることを楽しみにしている。
「素読み」をしながら取ったメモ
校正後に作成した表記統一表