グラフィックノベル『アステリオス・ポリプ』を読んだとき、チェコ出身の小説家ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を思い出した。アステリオスは、「存在の耐えられない」くらい「軽い」のだ。彼はオックスフォード大学で建築学の博士号を得て、コーネル大学と思われる大学で教えるようなエリートの研究者であり、教授である。経歴は重厚であるかもしれない。が、私生活においては次々と相手を変えるプレイボーイであり、パーティでは性的な冗談を言う「軽い」人間である。これは『存在の耐えられない軽さ』の主人公トマーシュとよく似ている。トマーシュもまた、エリートの外科医であり、愛と性を「切り離す」ことで、多くの女性と関係を持つ中年男性であるのだ。
アステリオスはハナという女性と出会って結婚するが、指導する学生にも手を出し、やがて離婚することになる。アステリオスの虚無的で、現実に距離を置いたような生き方は、彼の出生の特殊な事情と関係がある。ここのところは実際の作品を読んで、我々の人生はどこまで自由意思によって決定されているのか、あるいは生まれや育ちのような要因によって決定されてしまっているのか、アステリオスと一緒に考えてほしい。グラフィックの面から言っても、彼の姿はしばしば線だけで描かれており、その透明な身体は、重さを持たない、あるいは現実に場を持たないかのような印象を読者に与える。
『存在の耐えられない軽さ』はニーチェの「永劫回帰」という概念の考察から始まっているが、『アステリオス・ポリプ』で問われているのは、やはりニーチェ的な主題のニヒリズムであると思う。さまざまな偶然に左右される存在の不確かさを人はどう乗り越えていくのか、あるいは乗り越えられないのか。ハナとの結婚生活や、自動車修理工場を営む家族との共同生活によって、中年の独身者であるアステリオスは、生きるとは何かということをついに学び始めるように見える。
今回、矢倉喬士さんとはせがわなおさんによる翻訳が企画されているのは、たいへん喜ばしいことだと思う。先月(2022年9月)に大阪谷町6丁目の書肆喫茶moriで開かれたワークショップに参加した時も、矢倉さんは原作のコピーを配って、ここの英語をどう翻訳するかといった細部にわたる解説をしてくれた。つまり、翻訳者の準備は万端である。クラウドファンディングの成功によって、翻訳が実現することを切に願っている。
髙村峰生
関西学院大学国際学部教授
1978年、東京生まれ。英米文学、比較文学。著書に『触れることのモダニティ——ロレンス・スティーグリッツ・ベンヤミン・メルロ=ポンティ』(以文社、2017年)、『接続された身体のメランコリー——<フェイク>と<喪失>の21世紀英米文化』(青土社、2021年)。