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ぼくはゲイ「なんか」じゃない…。
地方都市に暮らす男子高校生たちの苦しみや友情と恋心を、
リアルに描く『ぼくの血に流れる氷』を翻訳出版したい!

一部先読み原稿を公開!(その4)

こんにちは、サウザンブックスPRIDE叢書です。一部先読み原稿「その4」を公開致します。今回は、自責の念から悪夢を見るようになったダリオに、精神科医のカウンセリングで一筋の光がさし込むシーンになります。

そして、クラウドファンディングは終了まで残り18日間で、参加者数100名が見えてきて、達成率は1/3ほどとなりました!

いまは大変な思いをしていても、必ず明るい未来につながるこの「ボクモヤ」「ボクナガ」シリーズ。ダリオやオスカルのように、自分に素直でありたいと葛藤する日本の若いセクシュアル・マイノリティに届けていきたいと思い、チームメンバー一同で頑張っております。どうかプロジェクト成立まで、SNS情報拡散などへのお力添えを、どうぞ宜しくお願い申し上げます。


※原稿は作業中のものになります。完成版とは異なります。

 


(自責の念から、悪夢を見るようになったダリオ。それに伴い、両親を亡くしたときに患っていた夜尿症が再発します。心配した祖母の勧めで、以前かかっていた精神科医のカウンセリングを受けることになりました。)

 

 まっすぐ診察室に向かい、ドアをノックした。
「どうぞ」なかからミリアム先生の声がする。ドアを開けると、先生がぼくをじっと見た。「ちょっと遅刻よ」
「ごめんなさい」
 先生と再会して、子どもに戻ったような気になる。先生も変わった。栗色の目の周りに少ししわが寄り、暗めの金髪に少しグレーが混じっている。だけど笑顔は前の通りだ。温かくて優しい笑顔。これまで数えきれないほどの不幸を見てきた人、そしてなんらかの理由で、世界にささやかな貢献をしたいと思っている人の笑顔。
「大きくなったわね。見違えるくらいよ」
 ぼくは肩をすくめ、言う。
「何年も経ったから」
「そうね。何年かしら、ダリオ。三年? 四年……?」
「最後に来てから四年近くになる」
 ぼくに訊く必要はないはずだ。日付はカルテに書いてあるだろうし、ぼくが来る前に目を通したに違いない。でもここで過ごした長い時間を振り返り、これはミリアムの戦術だったことを思い出した。ミリアムは、自分がよく知っていることでも、患者のほうから言わせようとする。いつも患者に話させようとするんだ。
「四年……」考え込むように言う。「もちろん、長い期間よね。聞かせて、この四年間どうだった?」
 ぼくはまた肩をすくめた。
「よかったよ、たぶん」
 きれいに整えた眉を上げて、先生がぼくを見る。
「またここに来たということは、それほどうまくいってたわけじゃなさそうね」そこで言葉を切るが、ぼくがなにも言わないのを見て、また続けた。「全部話して……。あれから、どうしてたの? どんなことがあった?」
 今のぼくが、なにを言えるというんだ?
「うーん。あのあと、中学校一年生を終えた」前回のカウンセリングが終わったのは、学年の終わりごろだったことを思い出して言う。「その夏はおばあちゃんと一緒に海岸沿いのアパートで一カ月間過ごしたんだ。それから二年生、三年生、四年生を終えた。一科目残ってたけど、九月の再試で受かった。今は高校一年だよ」
 先生はぼくをじっと見てから答えた。
「十二歳のときと同じ、相変わらず物事をまとめてしまうエキスパートね」
 唇がぼくを裏切って曲がって、半笑いの形になった。
「たぶんね」
「だけどそれじゃ全部言ったことにならないわね、でしょ?」ぼくはうなずく。先生は続けた。「まあ、少なくともわたしたち、少しは前進したわ。さあ話して、ダリオ。どうしてまたここに?」
 たちまち、ほほが赤くなる。先生はさかんに質問してくるが、なにがあったかは、予約を取るときに祖母が伝えているはずだ。悪夢のことまでは知らないかもしれないが、それも想像つくだろうし、ほぼ毎晩シーツを濡らしていることは、絶対知ってる。
 ぼくは十二歳に戻ったように、恥ずかしくてたまらなくなった。
「ねえ、ダリオ?」ぼくがなにも言わないでいるのを見て、先生は促す。「どうしてまた診察を受けることになったの? わたしに会えなくて寂しかったからじゃないわよね」
 ぼくを笑わせようとして言ったのだろうが、笑えない。その代わりぼくは、たった一言だけ口にした。
「悪夢」
「どんな悪夢?」
 最近見た悪夢を思い出し、体が震える。ぼくの手のなかで脈打つ心臓、それを貫く歯の感触、口いっぱいに広がる血の味……。あまりにリアルで、思い出しただけで吐き気がする。
「闇」数分経ってから、やっと答える。「血。死。死んだ人々。死にそうな人々。わかるでしょ……これぞ悪夢って感じ」
 先生はすぐには答えず、ぼくをじっと見る。それから眉間にしわを寄せ、クリップボードにはさんだ紙になにか書きつけた。
「そういう夢を見るようになってからどのくらい経つ?」
 暗算する。オスカルの人生を台無しにしてから、どのくらい経つだろう?
「二カ月くらいかな。前はそんなに……、今ほど、残酷じゃなかったけど」
 最初のころの夢を思い出し、言葉を切る。最初にあったのはただの暗闇、そして罪の意識と恐怖を感じていただけ。具体的なものはなにもなかった。あのころはそれがいやで仕方なかったけど、今は、あのくらいの夢で済むのなら何でもする。
「だけど、もう変わったのね」
 ぼくはうなずく。
「うん。二週間ほど前から違ってきている。もっと暗く、もっと残酷に。それに、出てくるのはぼく独りじゃなくなったんだ。おまけに……」
 言おうとしてやめた。声に出して言えない。
「おまけに……?」
「知ってるんだろ」ぼくは挑むように言う。否定してみろとけしかける。
 だけど先生は否定しない。
「ええ、知ってるわ。だけどあなたの口から聞きたいの」
「いやだ」
「どうして?」
 だって恥ずかしいから。だってぼくは哀れなヤツだから自分が哀れに思えるから。だって毎晩どんなふうに目覚めるかを思い出すだけで、不快になるから。
「どうしてでも」
「答えになっていないわ、そう思わない?」
「もう答えを知ってることを質問するのは意味がないよ……そう思わない?」ぼくが言い返すと先生はほほ笑み、クリップボードに向かってまたなにか書きつけた。
「その通りよ、ダリオ。だけどここでのルールを決めるのはわたし、忘れたとでも?」
 もちろん、忘れてなんかいない。
「覚えてるよ」
「それなら、第一のルールも覚えてるわね。わたしが質問して、あなたが答える」
「わかった」
「じゃ、続けましょ、ダリオ。おまけに……?」
「おまけに……」唾を飲み込むが、どんなに言おうとしても、その言葉を口に出すことができない。「おまけに……」
 顔が燃えているんじゃないかと思うくらい真っ赤になってしまった。涙があふれてきて、今にもこぼれ落ちそうだ。こんな状態でいなきゃいけないのがいやでたまらない。
 どっちみち、今よりずっとひどかったときのぼくを、先生は見ているというのに。
「ゆっくりでいいのよ」
「おまけに……」
 視線をそらす。言えない。だけど言わなきゃならない。どれだけ大変でも、力をかき集めて、あのことを言うんだ。そうしなければ、ここまで来た意味がない。それは、一言もしゃべるまいと決めて先生の前に座る、怯えた十二歳の子どもに戻るのと同じことだった。
 涙がほほを伝うのにかまわず、先生の目を見据える。
「おまけに、おねしょするんだ」言ってしまった。言いながら先生を見て、その目の輝きを認め、つばを飲み込む。それはもう、とっくに忘れたと思っていた種類の輝きだった。先生の目は、誇らしげに輝いたのだ。
「いろいろあったのに、あなたは自力で前進したのね」


©︎Naoko Muraoka


※一部先読み原稿のまとめ
 

 

プロジェクト成立まで、情報拡散へのお力添えを、
どうぞ宜しくお願い申し上げます!

 

2022/07/21 13:35