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ぼくはゲイ「なんか」じゃない…。
地方都市に暮らす男子高校生たちの苦しみや友情と恋心を、
リアルに描く『ぼくの血に流れる氷』を翻訳出版したい!

読書サロン代表のティーヌさんから、胸熱な応援コメントが届きました!

『ぼくを燃やす炎』を読んだ後に、ダリオが主人公の続編があると聞きました。それを聞いたとき、すぐに、読みたい!と思いました。

ダリオは、『ぼくを燃やす炎』の主人公オスカルがゲイであることを学校に広め、いじめを誘導した同級生です。スペインの田舎町の高校で、ダリオとオスカルは親友で、友だち以上のじゃれあいをする仲でした。ですが、オスカルがしたいこととが、自分の考えていた範囲を越えてしまったとき、ダリオはオスカルを強く拒絶します。
オスカルは、唯一の理解者ダリオの裏切りによって、深く傷付きます。それだけでなく、学校での暴力と、さらに父親からの暴力も受けています。辛い日々を過ごしたあと、オスカルは、姉や母、柔道教室で知り合った恋人のセルヒオの協力、そしてブログで繋がっている友だちの応援を得て、学校をやめ、村を出ることを決意します。このゲイの少年の物語は、大都市の最先端な話でも、華やかな海外の街の出来事でも、勇敢な少年の武勇伝でもありません。世界中のどこにでもいる、高校生の話です。

オスカルが学校を去ることを知って、ダリオは最後にこんなことをオスカルに伝えます。
「たぶん……たぶん、途方に暮れてたんだと思う」(p.477 l.11)
「なにもかも、あまりにも大変だった。おまえも知ってるよな、村に住むっていうのがどういうことか」(p.477 l.15-16)
「ほんとうに。ごめん。だけど、どういうものか知っているだろ。怖くてたまらなかった」(p.477 l.18)
「怖かった。なにかちがうこと、どれだけ否定しようとも、ずっとそうだったということに気づいた。そして、おまえを好きになること……おまえを好きになることは、抑えようとしてきたものすべてと向き合うことだった。おれはそんなことできなかった」(p.478 l.11-13)

ダリオが何を怖がって、何と向き合ってきたのか、『ぼくを燃やす炎』では詳しくは語られません。ですが、日本の地方の町で生まれ育って10年間実家に帰っていない私には、多少、想像できます。LGBTの友人たちが、お盆と年末年始に実家に帰るのを渋っている様子もよく知っているので、ある程度普遍的なものなのだろうと想像しています。例えば、オスカルは、「ダリオもハッピーエンドを迎える資格があると思っている。そうなるにはすごく時間がかかるだろうけど。」(p.480 l.7-8)と考えています。殴られたり尿をかけられたりするようないじめを受け、リストカットをやめられなかったオスカルが、理解を示すほどの怖いものです。
続編ではそれが描かれているようです。それを言語化するのは、とても苦しい作業です。きっと読むのも辛いだろうと思います。ですが、ダリオと同じように、今日本の田舎の小さな町で、自分の身体や性的志向を受け入れられずに悩んでいる若者たちの支えになるだろうと確信しています。そして、「東京で楽しいのはわかったから、実家には持って帰ってこないで」とか「この町で、レズビアンの娘がいる親としては生きていけない」と言われたかつての私を、救ってくれる物語であると、確信しています。
(読書サロン ティーヌ)
 


ティーヌ
セクシャル・マイノリティが活躍する小説について語る会、読書サロンの代表。
サイトでは過去のおすすめ本リストも公開中。
@dokushosalon
 

2022/06/09 17:21