クラウドファンディングが始まって以来、私の生活のリズムは大きく変わりました。それまでスイスイ進んでいたはずの原稿の校正が、ピタリと止まってしまいました。クラウドファンディングの立ち上げに全神経を注ぎ込みたかった、というのが正直なところです。また、日々の習慣である読書も、気づけばほとんど割ける時間がなくなりました。
とはいえ、今日は気を取り直して、本の「装丁」の話をしてみたいと思います。
一冊の本が出来上がるまでには、実に多くの人が関わります。
幻冬舎ルネッサンスのサイトには「一冊の本ができるまで」という項目があり、出版に携わる専門家が紹介されています。そこに挙げられているのは、たとえば次のような人たちです。
この一覧によれば、装丁は「ブックデザイナー」の仕事の一部とされています。
けれど、私は以前、出版流通の専門家の方から「装丁師」という、より専門的な仕事について教えてもらったことがあります。
たとえば、若松英輔『悲しみの秘儀』には、ナナロク社の単行本版と、文藝春秋による文庫版があります。ナナロク社版では、日傘作家・ひがしちかさんの装画と、装幀家・名久井直子さんによる造本によってひとつの装丁世界が形づくられています。そして、その構成の“向こう側”に——「悲しみを通じてしか開かない」秘密のページの存在があります。
そのことを教えてもらって、ナナロク社版を買い求めました。そして……あまりに美しく、悲しみに満ちたそのページに出会って、私は言葉を失いました。
「装丁」とは、ただ本を包む媒体ではなく、その本の世界を“どう読者へ手渡したいか”という、装丁師さんの願いが形になったものなのだと、あらためて感じました。
同時に、装丁はここまで饒舌でいいんだろうかという想いも浮かんできました。でも、そんなことはどうでもよく、家の本棚にある数千冊の中でも、その本が私にとって特別な一冊であることに変わりはありません。
「装丁」という仕事一つをとっても……、いえ、それだけでなく、紙の本は、単に作者と読者のコミュニケーションを超えた、本当に多くの人の手と関わりによって出来上がっています。
どんなデザインで、どんな装丁で、この本を皆さまの元にお届けすることができるか、それが本当に楽しみでなりません。