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メディアが何をしたか? Part2

「箱抜け」まえがき

まえがき


(1)好奇心と工夫

 2023年の初めから、chatGTPによるAIの急速な進化が世界に衝撃を与えている。人類は新しい遊び道具に夢中である。

 おそらく太古、火の利用を発見した時に、多くの人は火を恐れるだけだっただろうが、少数のお調子者たちが、火の使い方で遊んでいるうちに、生活に取り込まれるようになり、寒さや、暗さの自然環境を克服し、食料の調理や道具の加工に応用するようになったのだろう。遊びの中での好奇心と工夫が人類をして人類足らしめた原動力であると思う。

 火の発見は、やがて自然エネルギーをより高度に道具に対応する動力エネルギーに進化し、近代が開始される。近代初期には、やはりお調子者たちが遊びながら産業機械を作ったり、自動車や飛行機などの乗り物を開発したのだろう。

 機械文明の進化は人間の身体の部品を拡張し、人間は地球上のどのような動物よりも早く走れて、遠くに行くことが出来るようになった。重たい物を持ち上げて、運ぶことが出きるようになった。そして自然に与えられた頭脳という能力も拡張し、コンピュータを開発した。個人の記憶力を無限のものとし、個人の発見や感動を全人類が共有することが出きるインターネットに到達した。

 chatGTPは、そうした人類が火を発見したところから続く長い時間の旅がたどり着いた技術である。人類のお調子者たちが、遊びながら人類の新しい生活様式と人生の意義を見つけるだろう。

 火の発見と進化は同時に権力構造のはじまりであり、共同体間の戦争の歴史でもあった。宇宙開発という人の好奇心の健全な追求の背後に、宇宙ロケットの開発は軍事ミサイルの進化をもたらすという二面性を持つ。

 chatGTPという、人類の新しい成果を近代までの価値観のままで人類が扱うと、古い権力構造の支配ための道具にもなりうる。私たちは、新しい技術の追求と同時に、個人のあり方、新しい共同体のあり方も同時に追求する必要がある。

(2)バンドという非組織組織

 2020年から数年、人類はコロナ・パンデミックという閉ざされた環境に封じ込められていた。ようやく、うっすらと日差しが見えてきた時に、コロナ以前の近代の競争原理による社会のあり方とは、少し違う方法論が動き出しているような気配がする。

 それはインターネットの普及と同時に始まった「共有」(シェア)という発想の定着化である。近代は個の確立と組織の拡大が社会のテーマであったと思うが、ようやくその先の方法論が見えてきたような気がする。強靭な個人を確立して他者と対峙するのではなく、自己をゆっくりと広きながら他者との関係を紡ぎながら新しい世界を創造していく方法論である。

 近代は近代的自我の確立と近代的組織の方法論によって成立した。近代的組織とは、権力を頂点としたピラミッド型の組織論である。ピラミッドの構造を底辺の層が武力や選挙で転覆しても、ピラミッド構造のままであれば、頂点が変更しただけで何も変わりはしない。

 1970年にロックという音楽シーンにやられた私は、ロックバンドという形態に新しい時代の可能性を感じた。一人ひとりの個性と役割がありつつ共同して新しい作品を生み出すバンドの形態こそが、近代的ピラミッド構造に変わる新しい時代の方法論だと思った。

 バンドと組織の違いは、バンドのメンバーは代替が利かないということだ。メンバーがチェンジしてバンドが継続することもあるが、基本的にメンバーが脱退したらバンドが成立しない関係が本当のバンドである。私たちはその姿をビートルズに見た。

 組織はシステムでありメンバー(社員)は代替が利くものでなければ成立しない。新しい社員を入れて組織の方法論を教え育ててやがて退職する。創業のメンバーが仲違いして退社しても、組織は組織として守る社員がいるので解散することは出来ない。組織は新しい人材を採用して継続的に拡大していくことを目指す。

 しかしこの「代替の利く仕事」というものがAIにとって最適な業務である。マニュアル化されて継承されてきた組織のノウハウは、AIがやがて代行することになる。つまり、これからの社会人は「代替の利かないバンドメンバー」になるしないのだと思う。

 何かをやりたい奴が集まって、喧嘩したり馴れ合ったしながら共同して作品を作り上げる。それぞれの役割を相互に認識してコラボレーションする。喧嘩したら解散。また気が向いたら再結成。代替の利く人間など入る隙間はない。こういう活動の仕方しか、AI以後の社会では成立しない気がする。

 バンドは音楽だけではなく、あらゆる領域での社会的バンドとして活動すべきだ。近代を超克する道は、個人を鍛え上げるだけではなく組織を強固に拡大するだけではなく、一人ひとりの個人が出会いと可能性を追求する無数の社会的バンドがロック・フェスのように日々の生活の中でパフォーマンスする状況だと思っている。

 故・林雄二郎に教えてもらった言葉で「共生」という言葉がある。これは単に共に生きるという「きょうせい」ではない。自立した個人が相互に強く影響を与えながら一緒に生きるという意味で「ぐうしょう」と呼ぶ。社会的バンドの原理である。

 21世紀になった頃、インターネットの普及がはじまった。私は自著で、インターネットのキラーコンテンツは「銭湯と教育」だと書いた。「銭湯」とは人間同士が肩書や実績という表面的な社会的衣服で議論するのではなく、その人本来の裸の姿で交流出来るようなコミュニティであり、情報化時代の新しい銭湯の番台に座る職業が必要だと思った。

「教育」は、近代的組織の部品を養成するような外圧的な知識の注入ではない。知識や情報は誰もがオープンに取得出来るようになるが、その情報を保証したりサポートしたりする「インターネット時代の教育」が必要だと思う。「銭湯と教育」の要素を自覚した新しい「学校」という空間が必要だろう。

 chatGTPは個人のおもちゃやビジネスツールではなく、人類が新しい段階へと変容するための新しい学校での教材ツールになるのではないかと、漠然と思ったりしている。

 本書は、1972年に音楽雑誌「ロッキング・オン」を創刊して以来、参加型メディア、参加型社会の実像を追求してきた中で感じたこと、発見したことを総括した。本書もまた、時代に対しての私からのラブレターである。時代感覚を通して、新しい人と出会うことが、最大の目的である。
 

2023/04/07 06:57