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 橘川幸夫の新刊「企画書ver2020」(仮)プロジェクト

新刊の原稿を書き始めました。

お茶とスポーツ

 人間というのは、よく分からない存在だと、時々思う。若い時、熱いお茶を飲んでいて、ふと思った。「このお茶を肉肌にこぼしたら火傷するよな。なんでそんな危険なものを体内に流し込んで平気なんだろう。しかも、熱いお茶は美味しい」。こんなことをするのは人間だけだ。「火」を発見した猿は、何か自然の原理とは違う方向に進んだのかも知れない。

 会社の帰りにスポーツクラブで汗を流す。エアロビクスやスイミングを定期的に通う人は多いだろう。若い時に、僕も日曜日にスポーツクラブに通ったことがあるが、ある時、突然、不思議だと思った。

 人間は、昔は、肉体労働をしながら生活していた。18世紀半ばぐらいにヨーロッパで産業革命が起きて、化石エネルギーの利用を発見し、蒸気エンジンを開発し、人間の能力以上の機械が大きな生産力をあげることになった。これも根本的には「火」の力であろう。そうして近代が始まり、人間の肉体労働は機械に転嫁され、世界を覆う物質文明へと発展した。

 僕がふと思った疑問は、「人間は機械文明によって肉体労働から解放されたはずなのに、なんで、仕事の帰りにスポーツという肉体酷使をするのだろう」と。

 「熱いお茶を飲む」という理由はいまだに分からないまま、お茶を楽しんでいるけど、スポーツの方は分かった。人間は本来、肉体労働が好きなのである。しかし、近代の生産革命の中で生まれた、近代的個人は、肉体労働の解放から自分の時間を獲得し、近代的自我(個性という名のエゴイズム)を育ててきた。人間は本来は肉体労働が好きなのだが、近代的自我は、「強いられた肉体労働」が嫌いなのだろう。スポーツとは、「自発的・自己選択的な肉体労働である」という見方が出来ないだろうか。

 さて、私が言いたいことが見えてきただろうか。AI技術の成長により、私たちの頭脳労働も、機械に代替されるような時代が迫ってきている。これは、蒸気エンジンによる産業革命に匹敵するような人類史を飛躍させる新しい動きである。私たちは、強いられた頭脳労働からは解放され、そして、そこでは、「スポーツのような頭脳労働」が誕生するのである。

 そういう時代状況の中で、私は、「学ぶ」「教える」「伝える」という教育の意味を、根本的に考えてみようと思うのだ。

2020/02/20 07:17