福岡市貝塚公園 ブルートレイン保存車両 ナハネフ22 1007 再修復プロジェクト 2017
"BLUE TRAIN" NAHANEFU22 1007 RESTORATION CHARITY PROJECT FUKUOKA 2017

2635552e76d667821cdb1b382b84761351336a70a43872f9c2503fab490e?x amz algorithm=aws4 hmac sha256&x amz credential=akiaii6jt62oqlhbx2eq%2f20170728%2fap northeast 1%2fs3%2faws4 request&x amz date=20170728t125449z&x amz expires=900&x amz signedheaders=host&x amz signature=d1b894bdce5cff97f0f05b0f074054f023a1fe89fa956bb47ef7ae62358fc194

支援操作方法のご説明はこちら

このプロジェクトにご支援をいただける方は、こちらから会員登録を完了後、以下のボタンからお選びください。

First, please complete regiestration from here. And then, click button with your amount to back on below.

* IMPORTANT : Please make sure to select even your credit card is VISA/Master if you are backing from overseas.

Crowd Funding Project is ongoing to restore this original Japanese “blue train” coach until May 31. Your back is greatly appreciated. For any questions in English, send email to info@blt-journey.com.

Get Settlement Guide in English from Here

 

プロジェクトご紹介

はじめまして。ナハネフ22 1007修復プロジェクト委員会の髙橋竜と申します。

公園で保存され市民に愛されている鉄道車両

福岡市中心部から地下鉄で12分ほどのところにある貝塚公園には、本物の信号機や道路標識などが設置され、子供たちがゴーカートに乗って遊びながら交通ルールを身につけられるユニークな設備があります。公園内には、大正時代の蒸気機関車と共に、貴重な国鉄20系初代ブルートレイン先頭車両であるナハネフ22 1007が保存されています。20系客車は、東京と博多を結ぶ寝台特急「あさかぜ」号として昭和33年 (1958年) にデビューしました。豪華な個室寝台車や食堂車を組み込み、冷暖房を完備したこの列車は、当時「走るホテル」とも呼ばれ人々の羨望の的であったと言われています。この車両はその後増備されたもので、昭和40年(1965年)に製造されたものであり、現在これと同形式で一般公開されているのは、さいたま市大宮区にある鉄道博物館のナハネフ22 1のみという大変貴重な車両でもあります。

また、普段は外からしか眺められない車両の中に入って楽しめるようにと、これまで福岡市東区が主催して車内公開イベントが毎年2回ほど(3月と10月)開催されておりますが、毎回数百人規模の来場者で賑わっています。そして、イベントにはご年配の方々から小さなお子様まで世代を超えて多くの方々がご来場され、車両を通して世代を超えた交流が実現しており、まさに車両は優れたコミュニケーションツールだと言えます。

最初の修復

私は物心がついた頃から鉄道が大好きです。まだ小学生の頃にこの20系客車を使った東京・大阪間の寝台急行「銀河」号が引退すると聞いて登校前の早朝に横浜市内の自宅から電車に乗り写真を撮りに行った思い出があります。それまで写真でしか見たことのなかったその列車は、スペースをできるだけ広く取るために限界ぎりぎりまで大きく設計されていて、その迫力と丸みを帯びた美しいデザインに圧倒されました。やはり実物には直接実物を見ないと分からないことがあると思います。また、鉄道との触れ合いから数多くの出逢いが生まれることで、結果的に社会貢献という意識へとつながっていったと思います。

大船駅にて撮影 (1985年)

そこで今から5年程前の2012年、私はナハネフ22 1007が可能な限り現役時代の優雅な姿を取り戻せるよう、九州旅客鉄道株式会社(JR九州)様ならびに福岡市より許可をいただき、約350万円を費やして塗装を含め外部と内部の修繕を行わせていただきました。そのような形でこの20系客車に直接触れる機会が与えられたことに大変感謝しております。やはり、イベントに来場される皆様の笑顔を見れるのが何より嬉しいです。

最初の修復前

2012年の修復作業完了直後

修復前の車内

修復後の車内

もう一度修復しよう

さて、修繕から約5年が経過し、特に外部塗装が再度必要な状況になって参りました。この度福岡市の手厚いご協力と九州旅客鉄道株式会社(JR九州)様のご快諾をいただき、クラウドファンディングを通じて広く国内外の個人・団体・法人の皆様方より再修繕に必要となる費用のご支援を募らせていただくことにいたしました。ご支援いただく皆様方にとってできるだけ魅力的なお礼の品も準備したつもりです。

そもそも、この20系「ブルートレイン」客車を含め、なぜ私は昭和30年代に設計された国鉄車両を見て触れるたびに何か特別にわくわくするものをずっと感じてきたのか。それは理屈のない直感であり、これまでずっとロジカルな説明ができませんでした。

プロダクトデザインは、その設計者に似るといわれます。

そこで、国鉄の歴史を片っ端から文献を調べブログにまとめてみました。まだまだその知識は十分ではありませんが、その理由が少し分かった気がします。

国鉄の歴史(1):国鉄の誕生 https://coqtez.blog/jnr_history_01

コラム:「ブルートレインの父」十河信二総裁(1/2) https://coqtez.blog/sogo_bluetrain_01

コラム:「ブルートレインの父」十河信二総裁(2/2) https://coqtez.blog/sogo_bluetrain_02

まとめ:十河総裁と島技師長と国鉄ブルートレイン https://coqtez.blog/sogo_shima_bluetrain

それは、きっと医師でもあった後藤新平総裁の純粋な愛の表れであるということ。

そして、福岡市貝塚公園に保存されている20系先頭車 ナハネフ22 1007 にも、その時代の国鉄を作り上げた十河信二総裁と島秀雄技師長の情熱と生き様が反映されているように思えてなりません。

ブログを書くために膨大な文献を調べているうちに、私はお二人の熱い思いに何度も涙が止まらなくなりました。そして、そこで私が感じた優しさは、このブルートレインや0系新幹線などを見て触れたときに感じる優しさと同じものに感じました。

皆様にも全23話「国鉄の歴史」と続くコラムを是非お読みになって、なぜ私がこの結論に至ったのか是非知っていただきたいと思っています。

「新幹線の父」であり、「ブルートレインの父」でもある十河信二国鉄総裁や、島秀雄技師長が残された偉大な功績にはその足元にもとても及びませんが、「若者たちに『夢』を残すのだ」とどう考えても絶体絶命のシチュエーションに何度もぶつかりながらも決してあきらめずに絶対にくじけなかったお二人の思いだけは少なくとも見習って私もこのプロジェクトが終わる 5月31日 23時59分 の瞬間まで決してあきらめません。

皆様、ブログのコンテンツに目を通していただくのに合計1時間もあれば十分かと思います。お忙しいことと存じますが、通勤通学の合間や休み時間でも構いません。そして、お読みいただいた上でもし支援したいという気持ちになりましたら、ご協力いただけると幸甚です。

どうぞよろしくお願いいたします。




Photographs by Green-G

海外からご支援いただく方々へ:お選びいただくお礼の品の中には、お送り先の国や地域によっては何らかの法的な理由により発送できないことがあり得ます。その場合は、やむを得ず同等の代替品の発送となることがございますことをあらかじめご了承いただけますようお願い申し上げます。

修復概要

今回の修復は、主に屋外に展示されている車体保全のための外部塗装(屋根部と車体側面)が中心になります。今回修復する以下の2点については、最初の修復時に手が回らなかった部分になります。

  • 先頭部床下部分の腐食が一部激しく、数十キロはあると思われる歯車が落下する危険があるためC形鋼を使った溶接工事等により修繕します。

  • 前回の塗装では窓枠を取り外さずに塗装してしまったため、窓周りを中心にサビがすぐに出てきてしまいました。今回は、窓枠をいったんすべて外し、窓のH型支持ゴムも国鉄時代を彷彿とさせるグレー(白)色のものを特注で新規作成し、すべて新品に取り替えます。

以下、詳細です。

外部塗装

 

  • 屋根部分塗装(国鉄ねずみ色1号)
  • 側面部分塗装(国鉄青15号+国鉄クリーム1号)
  • 現状のクリーム1号帯2本から、上部にもう1本追加します。
  • また、3本の真ん中になる帯の位置が若干低いため、テールサインのH型ゴム上部のラインに合わせて高めに修正します。
  • 同時に、折戸扉の部分にも帯を入れますが、手すりには入れません。
  • 折戸(両側)右上部分に★マーク(グレー)復元

主な手順:

  1. 車両全体に足場を架ける
  2. アクリル窓の取り外し
  3. サビの除去→防錆処理
  4. 破損部の補修(車両正面スカート部分に腐食して穴が開いている部分を含む)、鉄板溶接やパテで成型→2液ウレタン塗装
  5. 窓の取り付け

窓H型ゴム取替および前面窓(2枚)交換*

窓H型ゴムは、現在黒色のものにグレー色の特殊塗装を施していますが、外部塗装のために一旦側面/前面窓を取り外す際にグレー色の特注窓Hゴムに取り替えます。

*前回修復した際に前面窓を設計図面通りにR加工を施したところ、写真の通り実際のRよりも飛び出てしまう形となってしまいました。目標額+20万円を達成できた場合に今回の修復で実寸に合わせて前面窓(透明アクリル樹脂)を再作成し取り付けることを計画しています。

床下修繕

国道側折戸のステップから先頭部分にかけての床下部分が一部かなり腐食しているため、修復します。

車両下部高圧洗浄

 

 

ナハネフ22 1007 プロフィール

ナハネフ22形式の7番目に製造された車両として昭和40(1965)年5月18日に日本車輛で誕生。品川客車区に配置され、寝台特急[ブルートレイン]「あさかぜ」などに使用される。その後広島運転所への転属を経て昭和52(1977)年12月28日、幡生工場(下関)にてナハネフ22 1007(1000番台)へ改造後、鹿児島運転所に配属され九州内の急行「かいもん」などで活躍。昭和60(1987)年1月20日に廃車後、福岡市貝塚公園で保存され現在に至る。

国鉄20系寝台特急客車のおもな特徴

  • 固定編成
    • それまでの客車は、異なる形式のものを組み合わせて列車にすることができたが、20系客車は20系客車のみで組成されることを前提に設計された。
  • 集中電源
    • 冷房装置などがあり多くの電力が必要とされたため、編成の一両に発電機などを設置して電源車とした。
  • 冷暖房完備
    • 当時としては列車のすべてに空調が行き渡っていること自体非常に豪華で、「走るホテル」とも呼ばれた理由でもある。空調設備があるので窓は開かない形となり、結果として走行中の車内が静かになった。
  • 乗り心地と居住性の良さ
    • 空気バネ台車を採用し、インテリアも当時としては珍しい国鉄外部のデザイナーによる設計でモダンなスタイルとなった。

Introduction

Hello, I am Ryu Takahashi, chairman of "NAHANEFU22 1007 restoration project committee".

Preserved Vehicles in Kaizuka Park

Kaizuka Park is located at 12 minutes ride on subway from downtown Fukuoka City. This place has unique feature which real signal and street signs being set, so that children can learn traffic rules while enjoying go-kart ride within the park. There is a display of last remaining model of real British aircraft manufactured by De Havilland and type 9600 JNR steam locomotive built back in 1920.

In addition to them, “NAHANEFU22 1007” - first generation blue train of legendary JNR type 20 leading coach is being preserved right here. Type 20 coaches first introduced in 1958 as limited night express “Asakaze” between Tokyo and Hakata. It was said to became object of envy for people on this fully air conditioned train with luxurious compartment sleeper and dining car. This coach was additionally introduced in 1965. On the later phase, it had been used as express “Kaimon” until late 1980s and came to this park after it became out of service. This coach is very precious as other coach of exact same model with open to public being exist still today is “NAHANEFU22 1” displayed in railway museum in Saitama Prefecture.

Fukuoka City is holding open house event bi-annually (in March and October) to be able to enjoy the interior of this car as it is usually being locked. We have hundreds of visitors each time during those events with wide range of generations. We can say that railcar is great communication tool as it is enabling interactions between generations.

Initial Restoration

Ever since I can remember, I love trains. I remember when I was still an elementary school age, I got up very early in the morning before the school starts and took the train to the closest station from home in Yokohama City where express "Ginga" which connected Tokyo and Osaka stops at since I heard the news that type 20 cars to be out of service from "Ginga" shortly. It was my first time to actually see this train other than pictures, I am overwhelmed by its powerful appearance and the beauty with design in round shape. I believe there are things which you can not feel without actually seeing it. Also, to be able to get to know many friends through the interest on railway, I think it had helped me to lead on my mind to social contributions as a result.

At Ofuna Station, 1985

Back in 2012, I have spent about JPY 3.5M to recover the appearance during its service as much as possible for NAHANEFU22 1007 and directed restoration of both exterior and interior including paint job with the approval from JR Kyushu and Fukuoka City. I really appreciate the priviledge to be able to actually touch on type 20 coach though this opportunity. It makes me happier than anything else to see smiles on the people who comes to open house event.

Before Original Restoration

Right After Restoration Work Completion Back in 2012

Interior Before Restoration

Interior After Restoration

Let's Do Restoration Again

It had passed almost 5 years now, and we now see the need of restoration especially new paint job again. With the approval from JR Kyushu and great support from Fukuoka City, we decided to have fund raising through crowd funding platform to ask for the support from backers within and outside of Japan, from various individuals, groups, and organizations to cover the cost of restoration. We believe you will like many original returns we prepared for generous backers.

Exciting feeling I had during my childhood led to my will to restore NAHANEFU22 1007 in 2012. And, it is a joy to be able to pass on the impression and interation between generations through railcar. There are many tasks and we need strong support to accomplish this project. We really appreciate your understanding and cooperation in advance.

To the backers from overseas : There is a possibility which some of the gifts you select may prohibited to ship out due to certain export regulation. In such case, please understand and accept to send you alternative gifts of the equivalent value in such case. Thank you.

Restoration Overview

Exterior Paint Job

  • Top part paint (JNR Gray#1)
  • Side part paint (JNR Blue#15 + JNR Cream#1)
  • Will add one more stripe in cream
  • Adjust position of central stripe to be at correct position
  • Adding stripe on door, but not on handrail
  • Restore star mark above doors toward right

Main procedures:

  1. Build scaffolds around the car
  2. Remove windows
  3. Remove rust and apply rustproofing
  4. Sheet metal working with welding and application of putty for repair where appropriate -> two‐package polyurethane paint
  5. Install windows

Exchanging Window Support Rubber and Front Window (2pcs)*

Current H-shape window support rubber is in black with special gray color coating being applied, but going to change to custom made rubber in gray during construction.

*As front windows had applied curve accurately in accordance with the drawing, it turned out to have the curve of window hanging out from the body as you can see from the pictures below. We are planning to remake front windows by the measurement taken from actual curve if we can raise additional JPY 200K on top of the target.

Lower Part Repair Work

Lower part under the door step of the side which faces the highway will going to have major restoration work as it has severe corrosions.

Lower Part High-pressure Washing

NAHANEFU22 1007 Profile

Born in Nippon Sharyo on May 18, 1965 as 7th car being manufactured as NAHANEFU22. Initially assigned to Shinagawa Coach Yard, and served as limited night express [blue train] "Asakaze" etc. Later transferred to Hiroshima Operation Center and then sent to Hatabu Works (Shimonoseki) for the conversion to NAHANEFU22 1007 (No.1000's). After conversion, it had been sent to Kagoshima Operation Center and served as express "Kaimon" etc. within Kyushu. It has been preserved at Kaizuka Park in Fukuoka until now after it is out of service on Jan. 20, 1987.

Highlights of JNR Type 20 "Blue Train" Coaches

  • Fixed Formation
    • All models of coaches before then were possible to mix, but type 20 cars are designed to be in formation consisting with only type 20 cars.
  • Centralized Power Supply
    • As it consumes a lot of electricity with A/Cs etc., one of the coaches being set as power supply car with generator in a formation.
  • Full Air Conditioning
    • It was still very rare and considered to be luxurious to have full A/C on whole train back then, and this is part of the reason why it was called "running hotel". As it had sealed windows since there is no need to open them with full A/C, inside became quiet even during an operation as a result.
  • Comfortable Ride and Great Habitability
    • It has air spring suspension. Interior had modern style by external designer which was not common at that time.