皆様こんにちは。
鏡板編の3回目をお送りいたします。
代観世喜之は明治44年、西神田に舞台を構え、苦難の末に一門の定期公演「九皐会」を始めますが、その舞台は大正12年の関東大震災で焼失。
翌年目白の地に稽古舞台を建てますが、本格的な能楽堂の建設は震災の7年後の、昭和5年のことでした。
現在の矢来の地に[観世九皐会能楽堂]として落成した舞台…。残された写真でみますと、地謡座奥の貴人口に梅の絵が描かれております。
度重なる一門の危機や苦難を乗り越え、色褪せることなく美しい花を舞台に咲かせてゆくのだ…という、初代観世喜之の決意や覚悟といったものを梅の絵に託したのでしょうか…
(次回につづく)