From 11:
Service design as a sense making activity: Insights from low-income communities in Latin America by Carla Cipolla and Javier Reynoso
”Designing for Service“のクラウドファンディングの件でコンセントの赤羽さんにお会いしたのは、先週のこと。本の中で「特にここは、オススメ!」という箇所があれば、共有して欲しいと言われたものの、なかなか絞るのが難しく、しばらく考えあぐねていました。
そんな私に、とあるカフェでの注文の際、“Doesn’t make sense!” な瞬間が訪れました。そして、決めました。Chapter 11の “Service design as a sense making activity” をまずは、ご紹介しよう、と。
このChapter の2人の著者のうちの1人、Carla 先生は、私が最も刺激を受けている先生の1人です。特に2009年に発表されたミラノ工科大学のEzio Manzini 先生との共著:’Relational Services‘ (2009) は、私の博士課程のリサーチにおけるセオレティカルファンデーションを支える参考文献のひとつです。
一昨年前、Carla 先生が、私の所属する英国のラフバラ大学を訪問し、レクチャーをしてくださった際には、まるで、憧れのアイドルにでも対面するような気持ちで挑んだことを今でも鮮明に覚えています。
サービスの分類は、伝統的には、どの程度の人的サービス(Face-to-face Interaction)が含まれるかによって行われることが通例かと思いますが、’Relational Services‘においては、この分類を超えて、つまり、「どのようにそのサービスが提供されるか (‘how’ elements in services)」という視点を超えて、「そのサービスが、どのような考え方や想いによって、成り立ち、故に、どのような形態で提供されるか (‘why’ aspects in services) 」という視点から、サービスを大きく ‘Relational Service’ と ’Standard Service’ の2つに分類しています。
Relational Services については、”Designing for Service“のChapter 11でも触れられていますので、興味のある方は、論文を検索してみてください。
さて、本題。
11.2 Interpretative framework: Indigenous services, cultural values and sensemaking は、こんな引用から始まっています。
Designers are ‘producers of sense, or sense makers (Manzini 2015: 35). Sensemaking in turn is ‘a motivated continuous effort to understand connections (which can be among people, places, and events) in order to anticipate their trajectories and act effectively (Klein et al. 2006: 71). Kolko (2010: 18) defines sensemaking ‘as an action oriented process that people automatically go through in order to integrate experiences into their understanding of the world around them’ and relates it to the process of design synthesis, which is ‘an abductive sensemaking process’.
このChapter では、ラテンアメリカの低所得コミュニティを例としながら、すでに存在している、他の環境設定で生まれ、育まれてきたサービスモデルを、そのまま、別の経済的背景と文化を持つ環境に当てはめることの難しさと、それ故にLocal cultural issues を考慮したセオリーやプラクティスの必要性について述べられています。
「ふむ。ふむ。そりゃ、そうだ。」
「っていうか、それって、当たり前ですよね?」
という声が聞こえてきそうです。
そう。当たり前だと思います。が、しかし。その「当たり前」を「本当に?」「そもそも当たり前って何?なぜ?どうして?」と日常生活では、若干「面倒な人」と思われてしまいそうな問いを常に繰り返していくことが、アカデミアの役割(だと、私は考えている)。
一般的に、経済が発展すれば、するほど、いろいろなものが画一化されていくと言われています。「都会は、どこも似ている」というようなことで、例えば、幾つかの要素においては、東京とロンドンの方が、東京と函館よりも、 似ていることは、確かでしょう。
しかし、そうは言っても、東京とロンドンは、似て非なるもの。
6年ぶりにイギリスから日本へ長期での一時帰国をした私にとっては、Doesn’t make sense! なことが時々は起こるのです。日本生まれの日本育ち、生粋の日本人だけど。(例えば、東京では、どんなに粘ってみても、チェーン系のカフェで、コーヒーフレッシュの替わりに、普通の牛乳をもらうことは、難しい。) そして、もちろん、東京からロンドンへ場所を移せば、日本の文化に慣れ親しんだ人にとっては、Doesn’t make sense! な瞬間は、山ほどあるでしょう。(例えば、電車が平気で遅れたり、毎回、停車位置が微妙に違ったりする)
「郷に行っては、郷に従え」。
Doesn’t make sense! なことを、論って、不平不満を口にしては、不機嫌そうな顔をして毎日を過ごすのは、人生の無駄使い、であると私は思います。 ただ、サービスデザインに携わる者としては、ニュートラルな視点で、なぜ、それが、Doesn’t make sense!なことなのか、そのDoesn’t make sense!なことが起こる背景には、どのような文化的及び社会的な文脈があるのか、そして、それらは、その他の社会的事象とどのように関連しているのか、何故に、そのような習慣が生まれ、当該社会の中で受け入れられ、「当たり前」になってきたのか?を常に考えることは、とても大切なことではないか、と思います。
「当たり前」を、慎重に、丁寧に、深く読み解いていく。Sensemaking のためのアクティビティとしてのサービスデザイン。それが、Chapter 11のタイトルです。
日本のサービスを取り巻く環境やそこに携わる人々のマインドセットは、いろいろな意味で、ヨーロッパのそれとは、大きく異なります。(ヨーロッパを一括りにすることにもやや、抵抗がありますが…)
”Designing for Service“は、主にヨーロッパを拠点とする研究者を中心として、書かれているので、英語での原書にあたれたとしても、読みながら、分かったような、でも、なんだか、分からないような、そんな弱めのDoesn’t make sense… を感じることも多いかと思います。
その感覚を大切にし、「なぜ、そう感じるのか?」「例えば、似たような事例において日本の場合はどうなのか?」というようなことを、 自身の頭の中でSensemaking させながら、読み進めていくのも面白いのではないか、と思います。
玉田桃子(PhD Researcher at Service Design Mini Centere for Doctoral Training, Loughborough University)
明治学院大学社会学部社会学科卒。株式会社サザビー(現:株式会社サザビ・ーリーグ)、日本郵船、東京ベイ舞浜ホテル(東京ディズニーリゾートオフィシャルホテル)等を経て、2011年に渡英。
ロンドン芸術大学セントラル・セイント・マーティンズにてイノベーション・マネジメントの修士号を取得。現在ラフバラ大学に在籍し、サービス・デザイン領域での博士号取得を目指して奮闘中。2017年10月より約半年間の予定で日本に一時帰国。 株式会社グラグリッドに所属しながら、活動している。