支援してくださる皆様
本文は以下のように悲しくあっというまに群が崩壊しました。
希望ある次の世界を提示したいですよね。
農薬がない世界はどんななのでしょうか?
一足先に、そのような世界を垣間見たいと思い、今年6月初から9月終までの
4ヶ月間能登半島の「世界農業遺産」になった地域の山の上の畑もある場所で、みつばちを飼ってみました。
埼玉県の無農薬の里では、「ちょっといらいらした群」が、能登で「おっとりした群」になりました。先日今度は横浜に帰ってきました、そうしたら、「もとのちょっといらいらした群」に戻りました。なんとも科学的に証明されたわけではないが事実ということですので、そこにはやはり住みやすさがあったのではないかと考えています。常に蜜源が2~3種類以上ある、めぐまれた場所で、農薬も上がってこないようでした。
この経験から、みつばちの快不快に理解が深まりました。
以下よろしければ、お読み下さい。
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それから一週間たち、この巣箱をこの場所においた人間がやってきて、この異変を見つけました。 働き蜂が8匹、女王蜂をかばうように重なって、動かなくなっていました。女王蜂がその中心で、動かなくなっていました。この人間は、この異変を「ミツバチのなぞの大量死」と名付けて世界に問いました。今までの長い年月と今年では、農業の現場で何が変わったのかと。
(ここから)
女王蜂をつまんで手に載せると、わずかに女王蜂が動きました。
「あれっ まだ生きているぞ」
この人間は女王蜂を、かごに入れてたいせつに自分の胸ポケットにしまいました。
女王蜂はそのあたたかさに安心して眠ってしまいました。
次に女王蜂が目を覚ますと、初めてのにおいにこかまれていました。
知らない群の中にかごごといれられていたのです。においはそのみつばちの群のにおいでした。たくさんのはたらき蜂がかごに入った女王蜂をとり囲んで、口々に何か言っています。みんなうれしくてたまらない様子です。女王蜂に食べ物をさしだしています。
この群は、10日ほど前に生まれた新しい女王蜂が事故にあって帰ってこなかったために女王蜂がいない群になってしまい、さびしい思いをしていたのです。若いはたらき蜂
が、女王蜂にかごのすきまから、受け取ってほしいとロイヤルゼリーをさしだし。
おなかがすいていた女王蜂はそれをたべると、ふわーっと女王蜂とくゆうのにおいを出しました。はたらき蜂たちにとっても、たいせつな女王蜂のにおいでした。はたらき蜂は、次々にむちゅうでロイヤルゼリーをさしだしました。
女王蜂はこのロイヤルゼリーをたべるごとに、この群のにおいになりました。人間が「もうだいじょうぶだな」と、かごの入口を開けました。女王蜂が出てくると、はたらき蜂がおおよろこびで迎え、われさきと触覚でさわりました。わたしたちの女王蜂はこの群の女王蜂になったのです。
この人間は、夕方にこの巣箱の巣門をしめて持ち上げると、農薬も肥料も使わない、草や虫を敵としない自然のままにそって、手入れをしている畑のそばに持っていきました。小さなたくさんの種類の生き物が、重なり合い、食べ物があればふえ、食べ物が少なくなると減りながら、絶え間なく命をつないで、生きているのでした。大地はかぐわしい香りに満ち、風が渡り、葉っぱが黄葉して金色に輝いていました。風が吹くたびに、枝から離れてきらきらはらはらと落ちていきます。葉っぱは「ありがとう」と言っていました。「楽しかったね」「よかったね」「夏は暑かったけど越えられたね」「今年も離れる季節になったね」「ありがとう」「ありがとう」「また来年あおうね」葉っぱたちはお互いに挨拶を楽しみながら、にぎやかにくるくるとおりていき、地面に着くともう何も言わないで、静かにふりつもっているのでした。
みつばちたちは、咲いたばかりのセイタカアワダチソウを尋ねました。「こんにちは、今年もあいましたね。ここに咲くことはわかっていましたけど、待ち遠しかったです。あなたの香りはほかにたとえようがない、あなただけの香りです。お元気ですか?」セイタカアワダチソウが答えました。「はい、今年もお世話になります。準備はいいですよ。」みつばちはセイタカアワダチソウのコクがある蜜をため始めるとき、暗くなるのがずいぶん早くなって、朝も明るくなるのがおそくなったと感じています。冬を越すための準備は、だいぶ出来上がってきました。女王蜂は、越冬する働き蜂の卵を産んでいきます。
この群に来てから、自分が産んだみつばちが群の半分になり、もともといた優秀なナースみつばちは、女王蜂の世話をしたあと、外へでかけていく仕事になり、ずいぶん花粉と蜜をためてくれました。今はもう、としをとり、あまり働かなくなりました。みつばちは女王蜂を大切にして、なかよく働いています。女王蜂は前にいたところは、不思議なところだったと思い出します。ここよりずっと少ない種類、かたよった種類の生き物がいて、ときどき、どっと生き物がごっそりいなくなりました。秋に鳴いているこおろぎの種類は3つくらいでした。ここでは、10までは数えられましたがそれ以上いるようでした。ここは空気が濃いのに透き通っています。前いたところは遠くまで疎の空気で満ち、なかなか空気がいれかわらないようでした。今いる場所は人間がいつもまわって、手をつかって草の手入れをしています。全部がごっそりと刈られることはありません。前にいたところは、なんでも機械で作業をしているので、あっというまに草がなくなってしまい、そこに住んでいた生き物たちが困ってそばの野菜にしがみついていま
した。困って不安になり、ふつうよりもごっそり卵を産む虫たちもいました。卵からかえるとたくさんの幼虫がてあたり次第に青い葉っぱを食べるので、まるぼうずになったりしました。そうすると、苦しくなるような水がたくさんまかれるのでした。
こちらの畑ではそのようなことがありません。草も虫もみんなそれぞれに役割があると知っているにんげんが毎日やってきて、にこにこ少しづつ草を刈っていくばかりで、たのしい手入れさぎょうにささえられているのでした。
やがてきびしい冬がやってきます。
春になって、やっとのことで生き残れたものたちが、いっせいにうごきはじめるときに、こちらの畑では、苦しくなるような水をまかれることはありません。