こんにちは、ナマケモノ倶楽部です。
今日は9・11の同時多発テロから16年目にあたる日ですね。犠牲になられた方たちへの祈りをささげるとともに、そのあとの国と国との争いにより、故郷に帰りたい、でも帰ることが叶わないイラクの人たちにも、思いを寄せたいと思います。
そんななか、今日9月11日の投稿は、イラク人アーティスト、ハーニー・ダッラ・アリさんの紹介です。今回の「しあわせの経済」世界フォーラムで、ポスター、チラシに作品を使用させていただきました。当日は、ご本人の来日はかなわないものの、アートでご参加いただく予定です。
(PEACE ON主催で開催された日本ツアーの案内ハガキ。詳細はこちら)
人が生まれ、「母の胎内」という、それまでこれが自分の世界、自分のワタン(故郷)だと感じていた安らかさを失い、それに代わって、母と父の優しさに満ちた懐に抱かれて、それを自分の新たな世界として見出すとき。そう、これが私だ。私たち人は誰しもこのような状態を手にする。すなわち、母、そして父、彼らこそがワタンであり、安らぎであり、安定なのだ。
若くして父は逝った。私にとり、母こそが私の唯一の世界であり、私の唯一のワタンだった。母は働き、父であると同時に母であり、力であり優しさだった。母は神から「母親たちの足元にある天国」を与えられて然るべき人だ。母もまた逝ってしまったとき、私にとってワタンとは、母たちの一人ひとり、父たちの一人ひとりであり、偉大なもの、美しきものであり、そして川と果樹園のあいだで過ごした幼年時代の想い出すべてとなった。
「ラヒール・ワタン~祖国、我を去りて~」
それは突然だった。ワタンは、その想い出、愛、棗椰子、太陽、大地、それら歓びのすべてを携えて、私から去ってしまった。私はべつの大地を探した。日々をそれで埋め合わせようと。そこにおいて、いつしか私自身が子どもたちのワタンとなり、彼らの護り手となった。父が私にそうしてくれたように。母が私にそうしてくれたように。
理性においても感情においても、私は知っている。私を決して見捨てない唯一の存在、人をこの地上に決して一人きりにしない唯一の存在があることを。それはいのち、すなわち「神」であると。「神の大地は広い」。こうして私は知った。大地のすべてが私のワタンであり、私の家族とは、この大地の平和を愛するすべての善き人々であると。私たちはこの大地に招かれた客人であり、そしていつか私たちもみな、立ち去るのだということを。すなわち、人生とは「ラヒール」、旅立つことなのだ。
慈悲深き慈愛あまねきアッラーの御名において。
「地上にあるものみなすべて、つかの間のものである」
(聖クルアーン アル=ラフマーンの章26節)
ハーニー・ダッラ・アリー
(翻訳:岡真理)