<写真:バイー・ア・デ・カラケスのマングローブ林、2004年撮影>
熊本についても想いは溢れますが、今はエクアドルに限って、一言言わせてください。
震源地のムイスネはぼくがマングローブ植林行動計画(アクトマン)の仲間たちと、90年代半ばから活動していた二つの州、エスメラルダスとマナビの間にあり、ぼくもよく行ったところです。とても貧しく、その北側のエスメラルダスは人口のほとんどが黒人で、エクアドル人の大半にとって外国のような場所、です。
マナビ州での活動が始まったのも、きっかけが大地震でした。たしか1998年に、大雨による災害に追い打ちをかけるような地震でバイーア・デ・カラケスの町は壊滅状態に。支援の要請を受けたアクトマンのリーダー向後元彦さんとぼくはヘリコプターで地震からほんの数日後、まだ停電中の町に降り立ったのです。 この時の現地の方々との話し合いがきっかけになって、バイーアを舞台とするエコシウダ(エコシティー)バイーア運動が始まりました。そしてそれがまたナマケモノ倶楽部とそのスロームーブメントの誕生へとつながっていくのです。
今回の地震に見舞われたエスメラルダスとマナビこそ、ナマケモノ倶楽部の生まれ故郷なのです。 ナマクラをあげて、エクアドル被災地の支援に取り組むことを提案します。
マエキタさん、皆さん、ありがとう。 辻信一
<2011年、エクアドル再訪した辻さんと、バイーアの環境活動家、ニコラ&ダリオ家族と>