こんにちは、木村夏彦です。
おかげさまで、ついに雑誌の完成が近づいています。YOUCHANさんの寄せてくださった素敵すぎる表紙イメージを、ひと足先にご紹介したいと思います。
(微細な修正・変更がある可能性があることをご了承ください)
見た瞬間に、「この世界に飛び込んでみたい…」とため息をついてしまいました。本を開くと、裏表紙とともに大きな一枚絵へと鮮やかに変身します。
紙書籍およびミニ電子エッセイ集「私のことのは散策記」は、予定通り11月下旬にみなさまの元に発送予定です。YOUCHANさんのオリジナルドローイングは11月下旬発送予定、電子書籍についてはサイトにあります通り、現状では12月に配信予定となります。オンラインイベントについては、後日ご連絡いたします。確実にお受け取りいただけるよう、配送先住所のご確認をお願いいたします。サイト右上の丸のアイコンからマイページに入れますので、必要な方はそちらから配送先のご確認・変更を行ってください。
また、以下が雑誌全体の目次となります。
総力特集 「世界の中の日本文学」の現在
Ⅰ
インドネシアにおける日本文学受容の一側面 太田りべか
アラビア語圏における現代日本文学の翻訳―その歩みと今 ラナ・セイフ
ポーランドにおける日本近現代文学―『不如帰』から李琴峰まで アンナ・ザレフスカ 芝田文乃訳
日本近現代文学・ポーランド語訳主要100冊 アンナ・ザレフスカ選
フィンランド語に翻訳された日本の文学作品についての一考察 上山美保子
日本近現代文学フィンランド語訳リスト 上山美保子作成
Ⅱ
二〇〇〇年以降の日本現代詩の英訳状況と課題 田中裕希
中国における日本の幻想文学の受容 劉佳寧
翻訳家インタビュー パトリック・オノレ 聞き手=木村夏彦 大島ゆい訳
私たちの知らない所で日本文学の花は咲いている―種子への讃歌としての小さなリファレンスガイド〈1〉 木村夏彦
小特集 覚醒する韓国SF
ブラックボックスとのインタビュー キム・ヘユン 廣岡孝弥訳
韓国SF―ジャンルの固有性と現代的テーマ意識 イ・ジヨン 廣岡孝弥訳
未訳作家アンケート ソ・ユンビン/へ・ドヨン
クラウドファンディング時にはお伝えしていなかった追加の記事として、韓国の作家ソ・ユンビンさん、へ・ドヨンさんに創作観を巡る短い文章を書き下ろしていただきました。いずれも本誌のために特別にご寄稿くださったものです!
さて、この文章を書いている今夜の時点では、まだ入稿は済んでいません。スケジュールによっては11/18~11/22前後に発送を開始できる可能性もありますが、恐縮ですがまだ読めない状態です。11/23(日)の文学フリマ東京41に弊誌『jem』は出展しますが(当然ながら、誠実さとして)、クラウドファンディングのプロジェクトでご支援くださった方への紙書籍の配送がすべて完了した場合のみ、2号は販売します(完了しない場合は創刊号のみ販売)。なお、ブース位置はL-75です。不在の時間もあるかと思いますが、わたしが売り子をします。よろしければお立ち寄りください。
一生に一回とは一回しかないのだ、ということを強烈に感じています。素晴らしい論考、記事、創作の数々を最良の状態で世に出せるよう、最後まで気を抜かずに頑張って参りたいと思います。また、先行公開として、この活動報告の末尾に雑誌の「まえがき」を転記したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
まえがき―変化の風が吹くとき
日本語文学の海外普及と、いまだ知られざる海の向こうの文学(特になんらかの意味で周縁に位置する (marginalized) 作品)の紹介を二本の柱に据えた「jem」の二号をここにお届けします。「jem」は宝石、珠玉を表す英語gemと、日本語文学Japanese Literatureの頭文字を組み合わせた造語です。優れた翻訳は日本語にとっての財産であるという考えのもと、翻訳文学についても取り上げていきます。
今号では制作資金を補填するためクラウドファンディングを行い、支援総額は目標額の167%を達成しました。ご支援・ご協力をくださった方、この雑誌をいま手に取ってくださっている方すべての方に厚く御礼申し上げます。
どのような思いのもと、この号を世に問いたいのか?クラウドファンディングサイトのプロジェクト紹介文はある種の感情=衝動=理念をよく保存してくれていると思うので、特集「『世界の中の日本文学』の現在」について触れた箇所をここに転記したいと思います。
《今号も世界中の翻訳家、研究者に協力をお願いし、アラビア語、インドネシア語、ポーランド語、フィンランド語、フランス語、英語、中国語(簡体字)という計七語圏についての論考を一挙掲載します(フランス語についてはメールインタビュー)。ワルシャワ大学で教鞭をとっている研究者、日仏翻訳文学賞、日本翻訳大賞を受賞している翻訳家など高度に専門的な知識を有する執筆陣による、信頼性の高い、充実した記事を集成します。
すでに存在している、そして未来に書かれる多様な日本文学の作品に更なる注目が集まることを願いながら私は雑誌制作の活動をしています。そのなかで、そもそも「世界中で日本文学のどの作品が、どのような読者に、どのように読まれているのか?」といった事柄についてまず理解を深めることに大きな意味があると考えるようになりました。
雑誌や書籍における日本文学の受容を扱った記事に意識して目を通すようになって十年間あまり、驚くような現象を目にしてきました。突出したベストセラーか三島由紀夫や川端康成のような文豪の古典のどちらかのみが翻訳されるという状況は多くの国ですでに過去のものとなっています。最近ではイギリスにおける年間翻訳書の売り上げトップ40(2024年)のうち43%が日本文学と推定されると『ガーディアン』が報じ、話題になりました(2024年11月23日付記事)。
他方で、主要文芸誌などで日本文学の海外受容が話題となる場合でも、アメリカ、イギリスでの状況のみが取り上げられることが多い傾向が以前から気になっていました。しかし、文化圏が変わると読まれ方も変わります。ときには、私たちにとって思いがけないようなかたちで。
今回アラビア語圏の状況について記事を執筆いただくエジプト在住の翻訳家(日本語からアラビア語)ラナ・セイフさんは、「日本という国が先進国でありながらいまだにジェンダーギャップが大きいことは謎である」と述べながらも、日本社会で女性が感じている「怒り」を表現した日本文学が、現在エジプトの若い世代の間で反響を呼んでいると「ニッポンドットコム」に掲載されたインタビューで語っています(2025年3月10日の記事)。また、起承転結がはっきりしているアラブ文学とは異なり、日本文学の「結末の曖昧さ」に魅力を感じるとも話しています。エカ・クルニアワンの長編などインドネシア文学を日本語に、森鴎外や谷崎潤一郎をインドネシア語に移しかえている太田りべかさんには、女性の社会的地位が低いと言われる(同じくイスラム圏の)インドネシアにおける日本文学の受容状況について寄稿いただきます。ふたつの論考は、ジェンダーの問題を多分に扱います。
私たちの間には違いも大きいかもしれませんが、共鳴できる部分も少なくないはずです。そして、その共鳴の質について「知ろうとすること」は、様々な国の文化・歴史について理解を深めることにもつながると固く信じています。
また今回、英語圏における現代詩の受容について田中裕希さんに執筆いただきます。翻訳を通じて詩が手渡されていくのには大きな困難がつきまといます。しかし、耀きとともに発見=発掘されるのを待っている原石がすでに無数に存在していると確信するからこそ、まず現状について知るための記事を皆様とともに読んでみたいと思いました。そして、西ヨーロッパと比して論考の数が相対的に少ないと思われるポーランド、フィンランドといった東欧の国々の事情を扱う記事についても今回掲載します。劉佳寧さんの記事は幻想文学テーマ、パトリック・オノレさんへのインタビューも、(自身がフランス語に移し替えてきた)澁澤龍彦や夢野久作など幻想文学作家の話題を多く含みます。》
この短文を書いたときには、どの論考もまだ書かれてはいませんでした。
編者としては、今回のこの特集と小特集が、活発な議論を呼ぶことを期待しています。そのなかで、この「まえがき」において記事の解釈の方向性を誘導してしまうような言葉を紡ぐことはできるだけ控えたいとも思っています。それでもここでひとつだけ述べることが許されるなら、論考のいくつかを読みながら、女性作家の立ち位置の変容について驚きの言葉を洩らさずにはいられませんでした。〈デジタル・ヒューマニティーズ〉の手法から日本文学の読み直しを図るホイト・ロング『数の値打ち グローバル情報化時代に日本文学を読む』(秋草俊一郎・今井亮一・坪野圭介訳、フィルムアート社)には、青空文庫に収録された文学テクストのうち、女性作家の割合はわずか9パーセント(児童書除く)との記述があります。アンナさん、上山さんが膨大な時間を費やして作成した翻訳書リストを眺めると、二十一世紀以降の変化が雄弁に語られているように感じられます。ポーランド語、フィンランド語に翻訳された作品は、こといわゆる純文学に限ると、非男性作家の存在感は、数十年前とは比較にならないものになっています。
もちろん、この傾向がほかの語圏にも現れていると結論づけられるかは客観的なデータとともに検討されるべきでしょう。しかし、英語圏における受容状況の影響を少なかれ被ってきた国や語圏―韓国、中国、台湾、フランスなどを除きます―の多くについて、辛島デヴィッド『文芸ピープル』第一章で検討されていたような趨勢が今のところはある程度観察できるのではという仮説を立てています。ここで要約を試みることはしませんが、この第一章が文芸誌ではじめに発表されたのは2020年。英語などからの重訳への依存の度合いが仮に多くの語圏で弱まっている、あるいはターゲット言語から直接翻訳できる翻訳者が増加しているのだとすれば、(不可視の木から枝が伸びるように)今後さらにあらたな動きが出てくるのではと憶測を逞しくしています。
本特集に収録のものに限らず、異なる文化圏における日本文学の受容に関する記事を眺めていて気づくことがあります。私が知る範囲にすぎませんが、「文学は翻訳されているが、サブカルチャーは輸入されていない」という国はどこにも存在していないように思います(知らないだけの可能性もあります)。
文化をこよなく精妙な生態系に、文学をそのなかで生存する植物に見立ててみると、植物は単独ではけっして存在することがありません。牛や馬やヤギといった草食動物や、バラの実を食べてしまうヒヨドリや、陽光や、土壌や、水分や風や、自然界のほかの諸要素に相互に影響を与え合います。書物は、鳥類のように啼くことも、ライオンのようにゆたかな鬣を靡かせて地を疾駆することもありません。口角泡を飛ばして自分の効能を主張することなく、微風に身をそよがせながら、ヒトや動物たちに読まれる、摘まれるのを沈黙しながら待っています。
芥川龍之介『地獄変』、中島敦『山月記』など文豪の文庫本の表紙に、人気の少年漫画の作者のイラストをあしらってみたら売り上げが(現象のように)跳ね上がった事例があります。植物たちが、ちょっと意識して外見を変えてみたら、突如として歩む者たちの目を奪うことがあるようです。実在した文豪たちの名をとったキャラクターが登場するアニメが好評を博し、亡くなった文豪たちの魂の創作物にその余波が及ぶということもあります。
文学は別ジャンルとのきびしい緊張関係のなかで生きており、その運命はまったく予想不可能なものなのです。藤枝静男「田紳有楽」においてグイ呑みと金魚が異種交配し大量の仔が芥子の実の如く繫殖してしまうように、思いがけない契機による書物のミームの拡散は、人間が統べることのできる範囲を超えています。
SNSが現代人の読書の時間を収奪し、生態系における書物の位置は疑いようもなく衰微していっているのか。それとも、かつては限られた種だけが特権を享受する不毛の荒野だった地が、現在は遥かに多様で健全な系に近づいていると見るのか。それは他ならぬあなたの目の凝らし方次第だと言えるでしょう。なお、本特集1には総論の要素の強い論考を、2には各論の要素のある論考やインタビューなどを配置しています。
小特集〈覚醒する韓国SF〉で登場するのは、日本では本格的に紹介されていない書き手ばかりです。自国でも現れうる、あるいはすでに現れている社会問題がより先鋭的なかたちで顕在化している土地。私自身は「お隣の国」のそうした側面に関心を持っています。作品を点ではなく面で理解することで読みから得られるものは倍加すると信じる立場として、イ・ジヨンさんの重厚な批評を初紹介できることをうれしく思います。韓国科学文学賞優秀賞を受賞した、これも日本初紹介作家であるキム・ヘユンさんの「ブラックボックスとのインタビュー」は、人間の意識を機械に移植することが可能になった社会を舞台にした、深い余韻を残す秀作です。零れ落ちた(零れ落ちる)ものを視つめるための物語。周縁に向かうのではなく、周縁に息を力を、意志的に吹き込もうとすること。
書物は、ふだんは息をつめて目を留めてもらうのを待っています。威嚇するような唸り声は持ち合わせていなくても、文学や思想は、そこを根拠地とするための根を張ることができます。権力、検閲、ヘイト、自分たちよりずっと巨きな生物に踏まれても、それがそのまま枯死を意味するわけではありません。雑誌の「雑」はしたたかでしぶとい雑草の「雑」、という気持ちで今号を編んでみました。生命力を失わず、あるいは思いがけないかたちで蘇生して、散らばった先々で根付いてゆく書物たちの旅路を楽しみながら見届けていただければ幸いです。
【付記】
今号では本冊と別に、クラウドファンディングプロジェクトのリターン特典のひとつとして、「言葉についての発見」をテーマにした書き下ろしのミニ電子エッセイ集「私のことのは散策記」を制作しました。執筆者は綾女欣伸さん(編集者)、アレクサンドラ・プリマックさん(詩人、編集者)、荒木駿さん(春秋社編集部、〈アジア文芸ライブラリー〉ほか担当)、太田りべかさん(翻訳家)、小笠原鳥類さん(詩人)、大島豊さん(翻訳家)、小原奈実さん(歌人)、ラナ・セイフさん(翻訳家)、堀田季何さん(詩歌作家、翻訳家)、そしてリターンで寄稿権をご購入くださった宮澤豊和さんです。精華集という語の源に立ち返らせてくれるような芳醇なエセーとしての宝珠の数々、ご注文くださった方はこちらもどうぞお楽しみください。
2025年秋 木村夏彦