「スーパー産科医・田中康弘×一青窈」対談取材レポ
書籍『ファーストドクター』に収録する、田中先生と一青窈さんの対談が、9月某日に行われた。場所は、田中ウィメンズクリニック内の応接。閉院からはや2カ月。ビルの引き渡しも近日に控えるなか、対談はお二人にとってかけがえのない場でのラストイベントとなった。
自身が「タナチル」でもあり、3人のお子さんの「タナチルママ」でもある一青さん。
お母さまが一青さんを出産されたころはまだ無痛分娩が珍しく、そうしたなかで、なぜ
無痛を選んだのか。それは一青さんにとっても知りたいことだったという。
「姉は自然分娩で生まれているんです。私のとき無痛にしようと思ったのは、まだ姉が幼
かったので、産後のことも考えてのことだったのかな。母が生きていたら、なぜ無痛にしたの?って聞いてみたい」
そんな一青さんだが、ご自身の出産については無痛以外の選択肢はなかったという。
「痛くなく産める方法があるなら、そっちを選ばない理由はない。痛いのは怖いですから。無痛分娩って怖くないの?とか、元気なんだから1回くらい自然分娩も体験してみたらという人もいたのですが、まったく心が動きませんでしたね」
「母子が同じ産院で生まれたという方はけっこうおられるのですが、同じ産科医に取り上げられたという人は稀です。そういう意味でも、一青家とはご縁があったんでしょう」と田中先生。
一青さんの初産は39歳のときだが、「なんの不安もなかったですね。先生にはとにかくマタニティビクスを頑張ってくださいと言われて。はじめはそれがどんな効果があるのかもわからず、ただ言われるがままにやっていたんです」
「お一人目のときは13週目から始めていただきましたね。二人目のときは12週目から」
「筋トレを15年くらい続けていたので、それほどハードには感じられなかったんですが、体重が増えるにしたがってどんどんきつくなって(笑)、先生にお尻を叩いていただかなければ、こんなに通えなかったかも」
半信半疑ながらもマタニティビクスに勤しんでいた一青さんだったが、
「いざ産むとなったときにすべての動きがつながったんです」とソファから立ち上がり、床に腰を下ろすと「こういう動きをするんです」となんと実演!!!
「ここ(お腹)だけで支えて、起き上がったり下がったりっていう動きを、なんのために
するのかわからないかったんですが、実際に分娩台のうえに座っていざ産もうとしたとき
に“これだったんだ!”と。パブロフの犬みたいに身体にしみついていたので楽勝!って。
そうこうしているうちに赤ちゃんの頭が出てきて、ツルリンって生まれました」
一青さんは初産時から高齢出産だったが、今や3人のお子さんのお母さん。ミュージシャンとしての活動を続けながら、妊娠・出産を繰り返してきたわけだが、それは産科医が田中先生だったからこそ、できたことだという。
-------------------------------------------------------------------------------------------
対談ではこんな楽しいエピソードが盛りだくさん!
無痛分娩とマタニティビクスに興味がある方には、ぜひとも読んでいただきたい内容になっています。ご期待ください!