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私たちの醤油屋の歴史

「醤油を飲んでしまった夫」タケシゲ醤油の住田良幸です。
募集終了まであと10日を切ってしまいました。なんとなくセンチメンタルになってます…笑

さて、今回はタケシゲ醤油の歴史について書きます。
空襲で貴重な資料等がほとんど消失していますので、実は分からない部分が多く、現在も収集中です。
ですので、分かっている範囲での歴史になりますが、結構深〜いようなんです。


はじまりは江戸時代

私たちの醤油を最初に始めたのは奥村家。福岡藩を開いた黒田官兵衛さんと一緒に博多の街に移住します。
もともと商人の街だった「博多」と、官兵衛さんが築いた城下町「福岡」の間を取りもつようなかたちで商いを始めました。
奥村家は呉服町の辺りに居を構え「博多三大豪商」の一人に数えられるくらい多角的に商いを拡大していきます。
その事業の一つが1752年(宝暦二年)に始まった醤油醸造です。

少し話はそれますが、三代目の「奥村玉蘭(ぎょくらん)」は江戸時代の博多を代表する文化人として有名です。
早々に太宰府に隠居し、太宰府天満宮絵馬堂の建立を発願します。


絵馬堂には現在も玉蘭筆の『西都奇観および孔雀図額』が掲出されています。

金網越しでちょっと見にくいですが、孔雀が描かれています(たぶん)。
見つけてみてくださいね。

また、手水舎の側にある『麒麟および鷽像』は、奥村家が発起人となり1852年に奉納しています。

 

「麒麟および鷽像」の隣の詩碑を建てた徳富蘇峰(とくとみそほう)も、当社代表の先祖にあたり、菅公の子孫と伝えられています。


以前facebookに妻がタケシゲ醤油の歴史を書きました。
前編・後編ありますので、お時間ある時にぜひ! → タケシゲ醤油の歴史

 

2019/10/02 19:09