ウルトラマンシリーズを手がける監督・田口清隆 書き下ろし!
映画『12人のイカれたワークショップ』製作プロジェクト

キャストからのメッセージ/甲川 創『日々の生活の一瞬一瞬が、自分とってもう既に"映画の一部"として始まっている感じがするのです。(カメラは回ってないですが・・・)』

みなさん、こんにちわ。今回このプロジェクトに参加させて頂いた甲川 創と申します。よろしくお願いいたします。自分はもういい年齢となっていますが(詳しい年齢を書くことはご容赦下さい)

若い頃から俳優を目指して活動しておりました。道半ばで活動を中断していた時もありましたが、今はこのようなプロジェクトやワークショップ、芸能事務所やその他オーディションなどを受けながら働いています。

自分は若い頃から色々な"弱さ"があり、それを乗り越えるのにずっと四苦八苦して来ました。当然今もです。なかなか壊せない"ジェリコの壁"(確か何かのアニメで言っていたような・・・辞書で調べると"崩れないもの"の象徴らしいです)みたいなものでしょうか・・。どうも自分は小さい頃から何故かあまり自信がなく、自分自身のこともあまり好きではありませんでした。色々なことから"逃げる"こともありました。

しかしある時、そんな自分が嫌になり、色んな事に馬鹿みたいに挑戦というか、やり出した時があり、その一つが"演技"であり、"役者"だったのです。でも今まで何か人生の大事な時にその"弱さ"が顔を出し、色々な失敗をしたんじゃないか・・と思います。きっと・・"強く成長した"んじゃなく、色々なことに挑戦するというだけで単に、"弱さ"を隠していただけだったんじゃないか・・と思います。

そして今は、"自分の弱さ"という"ジェリコの壁(?)"というか、そういうものと格闘している毎日です。

 

最近は自分達が若かった頃に比べて作品の数も、そして媒体もたくさんあって、本当に映像が溢れていると思います。特にCGを使った作品も多くて、簡単にコピーもできますし、本当にバーチャルなものがリアルを超えてしまっているようにも感じます。それらに影響されることもしばしばありますし・・。監督は今回、このプロジェクトで「フィクション」と「ドキュメンタリー」という明確な「2軸」を考えています。そしてこの「2軸」がどう絡んでいくのか・・それがこの映画の、大きな見物ではないか・・・と思います。

この映画で自分も含め俳優達は、CGなどで簡単にごまかせるようなことや、知らず知らず"何かで見たような演技のコピー"のようなことはせず、逆に「ごまかさない、ごまかせない」ようにワークショップの練習をしています。

色んな人達と同じように、俳優達も生活の中などで色んな悩みを抱えながら練習に来て、そして練習でも一人一人「こんな恥ずかしいこと」、「こんな嫌な感情をさらけ出すなんて」などあると思いますが、しかしそれを乗り越えて"殻"を破るためにトライしています。ワークショップの練習風景を見て頂くとわかりますが、単なる"演技の練習"を超えて、"自分の弱い部分"や"嫌な部分"を人の前でさらけ出すのは勇気が要りますし、逆に言えば開き直って「うまくごまかして」逃げることもできますが、そこから逃げずに立ち向かう、トライする。そういう"フィクションの中の逆リアル"のようなものが、そういう熱さ、情熱、勇気のようなものが、上手くフィクションの世界に絡んで、映画が見て頂いた方々に感情移入して貰えて、もっと身近に感じるような、そんな作品になってくれればと思っています。

このワークショップに参加する前に、自分には本当の"覚悟"や"情熱"のようなものが、本当にあったかどうか・・・。"俳優になりたい"とただ漠然と考えているだけで、テレビや映画で見るただ"いい面"だけしか見ていないで、ただそう思っていた、よくいる"ダメな奴"だったかもしれません。溢れる情報に、バーチャルなものにやられてしまっていたのかもしれません・・・。ただうわべだけでごまかして、本当の覚悟も情熱もなかったのかもしれません。

一番最初に自分が参加した時のことを今でもはっきり覚えていますが、

「気狂いじみた監禁する人間」であったり、逆に「監禁されて怒りと恐怖でいっぱいの人間」であったり(後のワークショップでは当然のように"人殺し"も出て来ました)・・・。

最初2、3日前に台本を貰った時は本当に恐怖でした。こんな感情わからないし、単純に「やりたくない」とも思いました。でも・・きっと心の何処かで、なんとなくその時の自分が嫌だったのだと思います。

「逃げずにやる」と決めて自分の心にムチを入れて参加し、なんとかやり切ったのを今でも思い出します。

あの時(今もですが・・)の気持ちは今でも忘れていません。稽古場に入った時、他の人が課題をやっているのを見ている時、やる寸前の時・・・全てが怖かったのを思い出します。決して楽しくなかったんです。そして終わった時の「ホッとした」気持ち良さもよく覚えています。

その後に参加した時も同じ感じでした。何回参加しても恐怖を感じています。

課題を行う前、監督自ら指名されることもありますが、必ずその前に自分達の意志に任せます。手をあげた人が先に行うのです。この時も自分は緊張やら何かで恐怖でした。そこに、どうしても「上手くやれるか」などの雑念も入ったりしてプレッシャーになります。そして監督の前で課題を行う前が一番の恐怖でした。ウケを狙うとか、そんな余裕もありませんでした。実際監督はそうは言っていませんが、その場に立つとなぜか、「どうする?やる?やめる?」と言われているような気がしてくるのです。そして「葛藤」が始まります。

本当に自分次第で、あの場に立つとどうするか自分で決めなくてはいけない。全て覚悟を求められる感じがします。ごまかすことも出来るので・・。でもやらずに「逃げた」時の感覚はもっと嫌なものでもあります。そしてさらに、時には監督もよく見ておられて、その「逃げ」も許されない時もあります。

ここまで書いて来て、このワークショップは、「自分を見つめて自分と闘う場」のように思えて来ました。

当然映像のワークショップなので、監督の要求に応えるという「闘い」もありますが、参加してみて率直に、自分にはそういう場だったように感じています。(でも、辛い、厳しい、恐怖だけじゃなく、おふざけもあるのが魅力でもあるんですけどね!)
 

 

私は最近、地元での仕事を辞め、東京方面へ引越しをしました。

「このプロジェクトのため」と言ったら、どこかあざとくて、これ見よがしな感じに取られてしまうかもしれません。しかし実際は、今の自分にはそれ程の余裕も自信もなく、日々の生活などに悪戦苦闘しているのが現実です・・・

自分でもなぜそういう決断をしたのか・・・とても情けない感じがしますが、実のところ自分でもよくわからず、「なんでこんな決断をしたんだろう」と思ってしまったりします。

ただちょっとだけ、ひょっとしたら?と思うのは、"自分の弱さ"と向き合いながら今も四苦八苦している"弱い自分"が、なんとかその"弱い自分"を乗り越えようと、心のどこかから背中を押したような・・そんな気がしています。

こんなことを書いてしまうと「洗脳か?!」みたいに、気持ち悪く感じさせてしまったら辛いですが・・・

ただ、自己紹介などに書いた通り、

自分は昔から、"強い人間"ではなく、

"自分の弱さ"に悩み、四苦八苦して来ました。まさに"弱い自分"というなかなか崩せない壁("ジェリコの壁"ですね・・・)によじ登ったり穴を開けようとしては潰され、失敗して来た歴史があります。そして今も、その"あがき"の途中なのです。

今回のこの映画のプロジェクトの重要な「2軸」、「フィクション」と「ドキュメンタリー」ですが、今の自分にとっては、「今の日々の生活の一瞬一瞬」もどこかその「ドキュメンタリー」の中の一部にいるような、そんな感じになる時があります。

日々の生活の一瞬一瞬が、自分とってもう既に"映画の一部"として始まっている感じがするのです。(カメラは回ってないですが・・・)

だから・・・

日々四苦八苦の連続ですが、そういう日々の「自分の生活」までも含めて、その日々の、"殻を破るため"でもある"四苦八苦"までも含めて、いい形となって今回のこの映画のプロジェクトに出て来てくれれば・・いや、出て来るように、必死に頑張ります。そしていい映画となって皆さんに喜んで頂ければ・・・それだけにつきます・・。

そう願って止みません。どうぞ宜しくお願いいたします。

 

 

2018/11/08 19:06