私は祈りのかたちを書くにあたって、正直白衣観音を候補には上げていませんでした。理由は昭和の仏像であり、コンクリート彫刻だからです。仏像には素材のヒエラルキーがありまして、国家の大事業には必ず鋳造彫刻が作られます。次に大事にされる素材は漆です。次に木材のような感じです。コンクリート彫刻はそのヒエラルキーのピラミッドに入れてももらえないという印象でもありました。ごめんなさい。それがどうして、この本のクライマックスに選ばれたかというと、理由は簡単です。久しぶりに観音様を参拝した3年前、あまりの美しさに魅了されてしまったからです。それも夕方西日が観音様の後ろから光背のように感じられ、神々しさにひざまついてしまったのです。なぜ私は気づかなかったのだろう、、と素直に思いました。幼馴染に恋してしまう少女と同じです。
そこからの話は本を読んでください。今日のテーマは白衣観音の未来の話です。観音様はそろそろお色直しの時期を迎えています。そうです。修理の話です。そしてその修理の話をする前にお墓と供養の話から始めます。少子化の流れで檀家の在り方もお葬式の在り方も現実的に転換期をむかえています。墓じまいが始まっている事実が起きています。そこで私の夢物語を語らせてください。私は白衣観音の地を高野山化したらどうかと思っています。つまりは永代供養の土地にしたらどうだろうと思っています。宗派を超えた永代供養の土地です。白衣観音を守っている慈眼院は高野山の別院であることから流れはスムーズです。
もちろん、皆様の檀家は維持します。そのうえで分骨して白衣観音の地に御霊を祭るのです。家によっては後継ぎがいなくて墓守がいなくなる家は始めから白衣観音様の傍で永遠に供養していただくのです。ただ、高野山のように俗世間の権力や地位が高いものが大きいお墓を持つのではなく、平等に祭られます。白衣観音んの地の外観は樹木と芝の公園で、地下に全ての肩書を外した御霊が静かに眠る場所になるのです。森鴎外は亡くなる時、墓石に肩書を全て彫らせず、森林太郎と刻ませたという話をはるか昔女子校生だった頃、現国の先生が教えて下さったことを今も鮮明に覚えています。新しい高野山化です。戦没者もいっしょに祭りたいです。井上保三郎さんと房一郎さんも眠るお墓です。
そこの土地には今と同じ白衣観音が立っています。残念ながらコンクリート製のため、内側の体内巡りは諦めて頂き、コンクリートや最新の樹脂で内側をがっちり保全修理します。体内の階段はなくなりますが、下から上に上るエレベーターは作ります。観音様の顔あたりまで上がれる方法は維持します。そうすれば今の観音様を作り変えることなく観音様に込められてきた井上保三郎さん、房一郎さん、森村酉三さん、黒川明玉さん、井上工業の歴史も消えずにすみます。私は構造計算と予算のことなど全くわかりません。でも今のままの白衣観音様を守って欲しいのです。観音様内の体内巡りは真言宗の曼陀羅を意識した上で別の資料館や施設内に引越しして頂きます。これが私が描く白衣観音様の未来です。永代供養のお金で観音様の保存管理費用はまかないます。白衣観音様のお導きに従いたいと思います。。ねがえば通ず、願わなければ始まらない。群馬県が誇るお像の将来をいっしょに考えましょう。