私は金沢朋子と申します。
安中市に住む古代史好き63歳です。
10年間通った三輪途道さんの彫刻教室は、群馬にいて唯一奈良時代にタイムス リップできる「脱日常」空間でした。
前回 三輪さんの解説した「脱乾漆「粘土」という技法もそこで初めて知りました。
「興福寺の阿修羅像は木じゃないの?」
まず、素人の私は、それでビックリ。
しかし、その興福寺の阿修羅像に近いものが、群馬にも存在していたかもしれな いとは。
それは、国分寺跡と日枝神社を三輪さんと一緒に歩いて、発見し分かったことです。
その当時は、まだ、現在のような前橋市総社歴史資料館は完成しておらず、日枝 神社=幻の白鳳寺院「山王廃寺」から出土した塑造の破片は前橋市内の廃校に なった小学校に保管されていました。
その廃校を2人して訪れました。
あの時代に「山王廃寺」に法隆寺の五重塔内部にある釈迦涅槃像を造った職人集 団が、この群馬に来ていたかも知れない。
塑像の破片から、この技術力の高さと確かさを読み解く彫刻家の眼力に私は鳥肌 が立ちました。
奈良時代は、現在の私達が想像する以上に、文化の伝播が活性化していた凄い時 代のだなぁと感動したのを覚えています。
(前橋市総社歴史資料館は現在コロナ禍の為、休業中ですので、来館の際は、事 前に確認してかください。)