本日、2026年8月25日。
フォトエッセイの撮影が、いよいよスタートしました。
この作品をつくることを願ってから、
何度も何度も考えてきた「私を残す」ということ。
カメラを向けられることには、
もう慣れているはずなのに。
今日、レンズの向こう側にいる自分を意識したとき、
いつもの撮影とは少し違う緊張がありました。
そこに映っていた私が、
ちゃんと「私」になれていたのかは、
正直、今もまだ分かりません。
でもひとつだけ。
今日、カメラの前に立っていた人が、
いつもの「八木奈々」ではなかったことだけは、
確かな気がしています。
今日の撮影では、
これまで袖を通してきたものとは少し違う、
私にとって、とても特別な一着を着ました。
袖を通して、
その重みを肩に感じた瞬間、
なぜだか胸がぎゅっと締め付けられました。
嬉しいとも、寂しいとも、
苦しいとも、幸せとも、
ひとつの言葉では説明できない、
違和感にも似た、名前のない感情。
それなのに、その重さに包まれていると、
不思議と何かに守られているような気もしました。
そして、その重さで少し痛くなった右肩に
そっと手を添えたとき、
なぜだか、
大切な人と手を繋いでいるような気持ちになりました。
今日一日、
そんなふうに自分でも名前をつけられない感情に、
何度も出会いました。
懐かしくなったり、
忘れていたことを思い出したり。
ずっと自分の中にあったはずなのに、
今日になって初めて気づいた気持ちもありました。
だから今日は、
紙とペンを握りしめるようにして、
一日を過ごしました。
少しでも時間ができると、
その瞬間に浮かんだ言葉を、
忘れてしまわないうちに書き留めて。
上手な文章にするためではなくて、
今日の私にしか分からないことを、
今日の私が忘れてしまわないために。
心が動くたびに、
ひとつ、またひとつと、
言葉を残していきました。
写真を撮ってもらいながら、
自分でも言葉を残していく。
今日一日を終えて、
「私を残す」ということは、
答えを見つけることではないのかもしれないと、
少しだけ思っています。
分からないものは、分からないまま。
まだ言葉にできないものには、
無理に名前をつけないまま。
今ここにあるものを、
ひとつずつ残していく。
そして今日、
不思議なくらいあたたかい気持ちで
カメラの前に立つことができたのは、
きっと、いつも以上に
皆さんの存在をそばに感じていたからだと思います。
私だけが楽しみにしていた今日じゃない。
この日が来ることを、
一緒に楽しみにしてくれていた人がいる。
そう、迷わず思えたことが、
今日の私にとって、とても心強かったです。
過ぎてしまえば、
ひとことで「7年間」と言えてしまうけれど。
その中には、
今の私にもまだ上手に説明できない感情が、
たくさん残っているのだと思います。
まだ、撮影は始まったばかりです。
今日レンズに映った私が、
いったい誰だったのか。
この先どんな私に出会って、
最後にどんな作品になっていくのか。
今はまだ、私にも分かりません。
でも、分からないからこそ。
その答えを探していく時間ごと、
大切に残していきたいと思います。
今日、ちゃんと最初の一歩を残せました。
まだ名前のない私と一緒に、
ここからもう少し先へ進んでみようと思います。
その先にいる私が、
どんな顔をしているのか。
皆さまにも、
最後まで一緒に見届けていただけたら嬉しいです。
2026年8月25日
八木奈々