日本唯一の遊廓専門書店・カストリ書房が、吉原遊廓跡に残る史跡・吉原弁財天前に移転します。移転後は、従来からのアーカイブ、ギャラリーに加えて、遊廓カフエー&バーとイベントスペースを新設、取り扱い図書を拡充。カストリ書房が掲げる「遊廓の歴史を後世に残す」実現に向けて、さらに充実した複合施設に生まれ変わります。
ついては皆様からご支援を賜りたく、クラウドファンディング(以下、クラファン)を開始した旨をお伝え致します。
※専用駐車場・駐輪場はございません。近隣のコインパーキングをご利用ください。
※進捗はカストリ書房Twitterにて随時つぶやいて参ります。
※プレオープン中は暫定的なサービスになることや、内装工事の関係で臨時休業となる場合がございます。
今からちょうど100年前の大正12(1923)年、関東大震災が発生しました。甚大な被害を受けた吉原遊廓もまた灰燼に帰しました。
<「娼妓千人は水火に死亡」とある。災後さまざまな流言飛語が飛んだ(引用『関東大震災画報』〈1923年〉)>
吉原の南方に隣接した吉原公園内溜め池・花園池(弁天池とも)が、廓内唯一の避難地と信じられていたことから、逃げ延びてきた遊女147名(*1)が溺死ないし焼死を遂げた、悲しい歴史の一コマを湛える一画です。
<震災前の吉原公園。明治40年頃。奥に貸座敷組合事務所がみえる(引用:浅草観光社『浅草細見』)>
震災から3年後、大正15(1926)年、犠牲となった遊女(娼妓)慰霊のため、観音像が建立されて今に伝わっています。後述するように、国内を代表する遊廓でありながら、当時を忍ぶよすががほとんど残されてない吉原にあって、貴重な遺跡・遺物が最も残されている唯一の場所です。
<観音像建立を伝える記事(引用『朝日新聞』〈大正15年6月19日付〉)>
新しいカストリ書房は、遊女慰霊の地である吉原弁財天前(台東区千束3-21-14)に移転します。
移転後は、これまでの書店、アーカイブ、ギャラリーに加えて、遊廓カフエー&バー、イベントスペースを新設します。加えて取り扱い図書もこれまで以上に拡充します。
購入した本を、すぐ開きたい。こんな使い方も大歓迎です。そして次のような目的もあります。
遊廓の歴史に興味のある人同士が繋がる場所をつくりたい──
これは私たちカストリ書房が掲げてきた目標の一つでした。「遊廓に興味のある人同士で話したい。でも周囲に話せる人がいない、話せる場もない」といった相談も幾度となく受けてきました。遊廓に興味がある人同士が、立場や意見が違えど、相手を尊重して話せる場をつくります。
実は「遊廓マニアが集う場所」とは言いたくありません。集うにあたって必要なもの、それは深い知識よりも、隣の席への思いやりです。ビギナーを軽視したり、知識のマウント合戦をする場とはしたくありません。「言いたいことを言える場」ではなく、「話を聞きたい人が沢山いる場」にしたいという願いで、新設することにしました。
誤解を招きやすいので、お断りですが、猥談に耽る場でもありません。猥談そのものを否定はしませんが、秘されていたものをやみくもに白日の下に晒すことが前進ではない、とカストリ書房は考えています。心の奥にしまっておくべき大切なものはそのまま心の奥に、日頃、意見交換する機会が得づらいテーマについて、知性を足場にした冷静さと情熱、そして相手への配慮と敬意をもって語らう。そんな場所を目指しています。同好の士が集う場所だから、こうした当たり前のことを大切にしたいと思っています。
<遊廓を話題にお酒も飲めるカフエー&バー。立ち飲みも。イメージ図>
これまでカストリ書房では様々なイベントを催してきました。遊廓跡の街歩き、非公開だった赤線建築の内覧会、識者や演者を招いた講演やシンポジウム。100人を超える参加者が殺到したり、募集から1週間足らずでソールドアウトとなったイベントも多数ありました。
(2017年3月20日開催トークイベント『軍艦島と遊廓』、参加者数87名)
(2017年10月7日〜9日開催、見学イベント、参加者数155名)
本来であれば、もっと頻繁に企画したいのですが、問題は会場探し。カストリ書房がある吉原周辺には随意利用できる会場はなく、またコストの問題から、実験的であるほど集客が難しく、実施を見送った企画も少なくありませんでした。新店舗の広さは大会場でこそありませんが、20人規模のイベントなら、いつでも開催できるようになります。
2016年に開店して以来、類例のない「遊廓専門書店」を標榜してきた私たちカストリ書房は、同時に「専門書店とは何か?」について自問し続けてきました。
専ら遊廓に関連する本を取り揃えること。「遊廓専門書店」の看板を目にした人の多くはおそらくこう捉え、私たちカストリ書房もまた、そのように邁進してきました。結果、現在流通する関連図書を網羅しています。ただし、開店から数年を経たいま気づいたことがあります。
「専門」とは、ときに細を穿っただけの衒学に陥りやすい──
例えば娼家数や娼妓数を並べ立てるだけでは、ある種の衒学に過ぎないのではないかと思えてなりません。言うまでもなく科学性を軽視したいのではありません。定量化に慣れた現代の私たちの目は、数値で完結した言説は説得的に映ります。一方で、本来、無限のグラデーションを持っていた遊女の半生や彼らの社会を数値に埋没させることに竿をさし、歴史を学ぶ価値や伝える意義を見失いかねないのではないでしょうか?
遊廓について言及されるとき、以下のような言説が多く見られます。
「遊女は単なる娼婦ではなく芸能人だった」
「遊女の人生は過酷な性奴隷だった」
敢えて単純化された両極にある言説を一例に挙げましたが、遊女がどういった存在だったのかを考えるとき、当然「どちらが正解か?」ではなく「それぞれの側面」を考察する必要があります。上記の例に則して言えば、遊女が芸能人に近い存在だったのだとすれば、当時の遊女以外の芸能者や芸能がどのようなものだったのか? あるいは遊女が奴隷扱いを受けていたのであれば、当時同じように低い社会的地位にあった女性、職業、集団はどうだったのか? について比較なしに理解することはできません。
「遊廓専門書店」とは、遊廓に関連する図書だけを専ら取り揃える書店ではなく、遊廓の知識を深めるために遊廓について相対化できる図書を提供する書店を指すのだと気がつきました。冒頭で移転目的を「取り扱い図書の拡大」と述べましたが、これはやみくもに図書点数を増やして、「取り扱い○千冊」と誇示することではありません。それは従来の総合書店の再現でしかなく、総合書店の社会的役割が徐々に小さくなっていることは閉店が相次いでいる事実からも明らかです。
遊廓と地続きになったジャンルすなわち女性(ジェンダー)、民俗・風俗、建築、医療、軍事、差別偏見、地域史、メディア、芸術美術、産業などを広く取り揃えていきます。
旧店舗は古民家の趣が好評だった一方で、高低差45cmほどの上がり框などの大きな段差もありました。足腰の負担が大きい、車椅子で登ることができない、などせっかく来店して下さった方に不自由を強いることも少なくありませんでした。これは私たちカストリ書房がもっとも反省しなければならない点の一つです。新店舗は奥のカフェー&バーまで段差はありません(入り口のドアに約3cmの段差があります)。
新店舗のトイレは現在のところ和式ですが、これも洋式化を視野に入れています。国土交通省が定める「バリアフリートイレ」は、車椅子やオスメイトの利用も含み、これを実現することはスペース上も資金上も残念ながら不可能と思われますが、せめて洋式化することで、少しでも多くの人が利用しやすい環境を目指します。
新店舗に設置されている天井エアコンは、当時設置した工事屋さんによると、約20〜25年前の平成初め頃につけたようで、いつ壊れてもおかしくはありません。
<居抜きで据えられたままのエアコン写真>
旧店舗で新設した遊廓アーカイブは、現在3,500点前後の史資料を収蔵しています。当アーカイブは今後も維持しますが、史資料は湿気(が原因となるカビや虫)が大敵。書店や遊廓カフェー&バーに来店されるお客様に心地よく過ごして頂くことは勿論ですが、貴重な資料保存のために、エアコンの新設は優先度が極めて高いものです。
カストリ書房をご存知ではない皆様に改めて自己紹介します。
私たちは日本で唯一の遊廓専門書店です。今から4世紀ほど遡った江戸時代に創設された遊廓・吉原があったその場所に、2016年、類例のない書店、カストリ書房がオープンしました。
<大門の左手(東)に位置する「伏見町」に、2016年、カストリ書房が生まれた。(『東都新吉原一覧』(万延1〈1860〉年、歌川広重〈2代〉)>
わずか2坪の売り場面積に過ぎない、ネコの額より狭い店構えでしたが、全国紙をはじめとして、NHK、雑誌など多くのメディアが取り上げてくれました(*2)。とりわけ脚本家・作家の内館牧子さんが当店屋号を指して「終戦後の密造酒の名を店名にするあたり、絶妙なセンス」と賛辞を送って下さったことは望外のできごとでした。
<内館牧子「暖簾にひじ鉄」(『週刊朝日』〈2018年6月22号〉より引用)>
これは開業前から予期していたことですが、周囲の予想に反して、約8割が女性のお客様です。その理由について、これまで多くのインタビューで応じてきましたが、せっかくの機会なので、改めてお答えします。
過去のどの時代よりも、現代は性や愛のあり方が大きく変化しつつあります。性や愛の在り方が内包していた因習から解放されると同時に、寄る辺なさを覚える瞬間もあります。とりわけ、ある種の制限・制約が「女らしさ」と扱われてきた女性ほど心許ない感覚に陥っているのでないでしょうか。母や祖母の生き方がロールモデルとして役目を果たさなくなってきた一方で、過去や歴史に替わりとなるヒントを得ようとし、その一つが「遊廓」なのではないか。裸一貫で生きていた(生きざるを得なかった)「遊女」は、同性の女性には逞しく映る、さらに言えば格好良くさえ映る(遊女とセックスワーカーを同一視はできませんが、近年のセックスワーカーへの理解の深まりも同じ背景を持っているものと推察します)。逆から照らせば、それほどまでに従来の社会を構成していた価値観や仕組みが信じられなくなってきたことの裏返しでもある。このように私たちは考えています。
翌17年、以下を目的に、かつて「おはぐろドブ」と呼ばれた堀跡の一角に移転しました。
中でも眼目であったアーカイブは今では収蔵点数3,500点を超え、こちらも日本唯一かつ最大の公開施設となっています。2020年にはコロナ・ウィルスという世界的なパンデミックに見舞われ、あらゆる業種が苦境に立たされましたが、弊店も多くの方から支えられて事業を継続してきました。
カストリ書房が吉原にオープンした2016年から昨年2022年までに、全国の書店約14,000軒のうち2,600軒が閉業、現在は約11,500軒しか残されていないと言います。2000年には22,000軒あった書店が、わずか20年にして半減した事実があります。
<全国出版協会・出版科学研究所のデータから作成>
書店業に厳しい時代にあって、オープンから7年目、旧店舗に移転してから早いもので6年目を迎えました。2017年に生まれた赤ちゃんが現在は小学一年生であることを振り返るにつけ、月日の流れる早さに驚くばかりです。カストリ書房もヨチヨチ歩きから小学一年生になりました。
ようやく身の丈に合わないランドセルを背負う小学一年生になれたカストリ書房ですが、昨年2022年11月、家主から突如として契約の満了を告げられました。そのため、移転を余儀なくされた次第です。
新店舗探しは難航しました。あまり知られていませんが、現在の吉原は地方都市の商店街などと同様、街の賑わいに翳りが見えて久しい時代を迎えています。
今から65年前の昭和33年、準公娼制度と呼び得る〝赤線〟が消滅した後、現在の吉原はソープランド街に看板を挿げ替えて日本最大の娼街として存続していることは周知の通りです。メディアに登場する現代の吉原ソープ街は、煌びやかな歓楽街、あるいはどこか称揚する響きを含ませた豪快な遊び場として紹介され、いずれにしても賑々しいイメージを伴って伝えられることが多い街ですが、実態とはかけ離れたものです。昭和59年の179軒(*3)をピークに近年では142軒(*4)を数え、緩やかに微減傾向が続いています。
<カストリ書房旧店舗。以上2点の撮影・マキエマキ様>
この街で働く人や遊興に訪れた人向けの飲食店、ソープランドに勤める女性向けのドレスショップなど、関係する様々な店舗がここ10年ほどでも閉業が相次ぎ、またそうした店舗家屋が取り壊されている印象があります。2016年に空き店舗を探したときですら、賃貸サイトにめぼしい物件は皆無で、広告が出されていない空き家とおぼしき物件の家主さんのドアチャイムを鳴らし、自分で賃貸契約書を書き起こして契約締結した経緯がありました。
2021年に開幕した東京五輪の影響を受けてか、前後して、趣ある古民家を含め、わずかに残る赤線物件も少なからず取り壊されました。まして2022年、新店舗探しは難航を極めました。そこで地元吉原の元町会長・吉原達雄さん(80)に相談しました。吉原さんは吉原神社の総代を務め、吉原弁財天の復興に尽力してきた方です。
<吉原達雄さん(偶然ですが、吉原の吉原さんです)>
十数年前、町会長だった吉原さんは、心霊スポット扱いされるほど荒廃していた吉原弁財天の修繕を志すも、周囲からは反対にもあったことから独力で修繕し始めました。現在では、多くの人が立ち寄る遊女慰霊のより所となっています。吉原さんによれば、修繕前のお賽銭は1ヶ月5,000円程度だったものが、コロナ禍前は2,000万円ほどにも上るようになったとのこと。
こうした目立たない行動力と決断力で、「新しい吉原」を支えてきた吉原さんに紹介して貰った物件は、賃貸サイトなどでは未公開物件でした。周辺の他物件に比べて坪単価が割安で、「不動産には掘り出し物がない」とされる中で、人脈と幸運に恵まれました。
坪単価以前に、私が惹かれた理由は場所柄です。「吉原弁財天」(台東区千束3-22-3)と呼ばれる、大正期に当地で没した遊女を供養するために建立された社寺の、まさしく目の前だったからです。
奇偶ですが、カストリ書房店主(これを書いている私)の渡辺豪は、2021年頃から調査テーマに「遊女の墓」をライフワークに据え、全国各地に残る遊女の墓を含む供養塔、供養塚を調べてきました。今回、吉原遊女の慰霊の場となる「吉原弁財天」前に移転する運びはまったくの偶然ですが、ご縁を感じました。
<渡辺豪note>
今からちょうど100年前の9月1日、相模湾北西部を震源とする大地震・関東大震災が発生しました。関東5県でマグニチュード7.9を観測し、直接死者・行方不明者約10万5千人という未曾有の被害を与えました。昼食と重なる正午直前に発生したことから、各地で火災が発生し、吉原遊廓も灰燼に帰したことは前述の通りです。
火事から逃げた遊女(娼妓)たちが花園池(現弁天池)に飛び込み、多くの犠牲者を出しましたが、今もって犠牲者数は定かではありません。震災直後の報道では混乱のためもあってか2,000人と伝えられもし、実態とかけ離れた犠牲者数が今も独り歩きしています。前述の147名はもっとも確度が高いと思われる、新吉原三業組合が発行した『新吉原遊廓略史』(昭和11年)を典拠としたものです。前述の大正15年に除幕式が行われた観音像を伝える『読売新聞』(大正15年6月19日付)では、震災から3年を経たにもかかわらず、「一千の娼妓」と実証性に乏しい犠牲者数が伝えられています。
これは何を表しているのか──
単なる虚報ではなく、遊女(娼妓)とされた女性への軽視がそうさせているように思えてなりません。命の尊厳よりも、読者の歓心を買おうと、より悲惨に、より刺激的に報じる。これは当時の新聞社ばかりに帰責されるものではなく、それを望んだ社会があったことをまず忘れたくはありません。そしてもっと大事なことは、現代においても克服できていない、という点です。YouTubeには刺激に偏ってつくられた遊廓関連の動画が溢れている現状からすれば、私たちは100年前の社会を嘲笑ったり、断罪することはできません。1世紀でどれほど遊廓の歴史を伝えてこられたのか? 1世紀でどれほど遊廓の歴史を失ったのか? 考えざるを得ません。
元和4(1618)年に創設され、移転を挟むものの、当地は「吉原」の名のもと4世紀以上に渡って娼街として続いています。近代以降も各地方の遊廓(貸座敷指定地)は、営業形態や空間構造上も吉原を簡易的にコピーし(*5)、シンボリックに扱い続けました。
こうして令和の現代に至るまで長く日本の公認黙認性売買産業に大きく影響を与えてきた吉原ですが、売春防止法施行以前の遺構や遺物は極めて乏しく、300軒前後もあった戦後の赤線建築すら殆どが残されていません。「吉原」という地名だけが独り歩きしていると私は常々感じています。今回、移転先である吉原弁財天には、前述した観音像の他に、遺跡・遺物が残されています。遊廓に関心を持って、当クラファンを見ている皆様も多いことかと思います。せっかくなのでご紹介したいと思います。
当地を整備した際に建立したみられる玉垣には、楼名と楼主とみられる人物や芸妓の名が刻字された玉垣。
<玉垣には角海老楼の名もみえる>
戦後に特殊喫茶と看板を替えた娼家に勤める娼婦や娼家が建立した水子地蔵。戦後になってもこうした建立がありました。
<新吉原カフエー喫茶組合による昭和29年の建立>
セックスワーカーの労働団体(*6)と呼び得る「新吉原女子保健組合」の祠。この祠の裏面には、当組合の幹部でもあった娼婦の名が刻まれています。
余談ですが、「新吉原女子保健組合」を紹介している商業出版図書は存在しません。吉原というと、とかく享楽的な言説で江戸時代ばかりが取り上げられる一方で、わずか半世紀ほど前の歴史は軽視され、むしろ近い過去ほど忘れ去られてしまっている印象があります。おそらくここ数十年の範囲で近年に泉下の人となったであろう、赤線時代の女性のことを考えるとやりきれない思いに駆られます。「吉原弁財天」には、近代以降の吉原の歴史を偲ぶよすがが、わずかに現存する大切な場であり、その中心には前述した大正15年造の観音像が祀られています。参詣の折には、カストリ書房移転の暁には是非足を運んで頂ければと思います。
最後になりましたが、カストリ書房がご縁を頂いた方から、応援メッセージを賜りましたので、ご紹介します。
※五十音順
井出明 様(金沢大学教授)
遊廓の研究は、ジェンダー論やフェミニズムの観点からも非常に重要なのですが、これまでは近世から近代にかけての都市の繁栄の象徴として描かれることが多く、そこで苦悩した人間への眼差しが圧倒的に欠けていました。
カストリ書房はこうした日の当たらなかった分野をあえて取り上げ、後世に気づきを発信していこうとしている点で、非常に大きな役割を担っていると思います。
ぜひとも頑張っていただきたいです。
石川真紀 様(元文化放送アナウンサー)
渡辺豪さんと初めてお会いしたのは、開業まもなく取材でお訪ねした2017年初月のこと。 白無地の暖簾に毅然と佇む商号、そして、初対面から半刻足らずの滞在中、「いつか朗読配信をお願いしてもよろしいものでしょうか」と依頼予告を口にされるまでに距離を縮めてくださる人間力が心に刻まれる邂逅でした。
時を重ね、満を持してのご依頼を受け、田村泰次郎『鳩の街草話』の朗読に取り組んだ次第です。目標に向かって歩みを進める方は、成し遂げる信念と、簡潔かつ雄弁に発信する言葉とを併せ持っておられ、双方を兼備する方こそが次なる出会いを引き寄せ得るのだと実感します。
性=生をめぐる史実を語り継ぐことの意義、類を見ないチャレンジ、時代を共有する者同士の緩やかな絆・・・その趣旨に賛同し、お伴させていただいております。
かみしばい・金ちゃん(田中利夫) 様(紙芝居実演家)
カストリ書房で「アメリカ兵に春をひさぐパンパンガール」の拙紙
私の町朝霞で紙芝居をご覧下さった
田舎爺いの紙芝居を
新店舗開店にあたり、既、応援メッセージを受け私も若いカストリ
写真は小1。パンパンのお姉さん方から「としぼう」と可愛いがられました。母
紙芝居の○○一味 様(紙芝居活動家族)
歴史と呼ぶには早いにも関わらず人々が蓋をして失われつつある記憶に、店主の渡辺さんが真摯に向き合って感じた知識をお勧めの本と共にご紹介してくださいます。
渡辺さんの生きた言葉でお勧めしてくれる本はどれも興味深くカストリ書房さんでしか味わえない魅力があります。
また、本との出会いだけでなくカストリ書房さんに集まる方とたくさんの出会いをいただけました。一般的な本屋さんでは感じられない知識と人の出会いをくれる大好きな本屋さん。新店舗での出会いも楽しみです。
佐野陽子 様(嘉悦大学名誉学長・慶應義塾大学名誉教授)
長らく吉原遊廓跡地の周辺で営業しておられたカストリ書房さんが、跡地のど真ん中へ進出されるとのこと。
私は浅草在住70年の高齢退職者です。雷門界隈はインバウンドの旅行者や若者で、コロナ禍前をしのぐ賑わいを取り戻しています。半面、「奥浅草」と呼ぶ観音裏界隈は、商店街が後退するほどの静かさ。とくに吉原遊廓跡地は、衛星からも確認できるほど立派に遺っていますが今やマンション街になろうとしています。
この遊廓跡地のうち、旧吉原病院(現台東病院)や吉原弁財天周辺は、東京大空襲で焼け残った奇跡の地域です。
この場所のど真ん中に、カストリ書房さんは廓専門書店を新たに構えようというのです。まさに度肝を抜く計画です。奥浅草を調べた仲間とともに、吉原遊廓跡地の維持発展を祈ってやみません。
東雅夫 様(アンソロジスト、文芸評論家)
カストリの殿堂めざして
稀少なカストリ雑誌の探索と研究に執念を燃やす「カストリ出版」店主・渡辺豪氏の八面六臂の活躍ぶりは、古書好きの読者諸賢なら、先刻御承知だろう。
もっとも、私自身は豪さんと知り合う以前に、夫人の水谷さんのお世話になっていた。怪奇幻想短篇の逸品を紹介するグループ「ロウドクシャ」のメンバーとしてである。
先日は、ひょんなことから旧・吉原の面影を残す料亭で、豪さんやゲストの若い皆さんと共に「遊廓と怪異」というイベントを御一緒することになった。折しも、その際、話題に出た吉原弁財天さんの近くに社屋を移し、よりパワーアップされた形で、カストリ探究に精進される由。善哉、善哉。願わくは、志を同じくする皆さんの、御支援・御賛同を賜りたく、ここに平伏して、お願いする次第であります。
弘子 様(義母)
平成29年、母がこの世を去った年に皆さんのお力添えをいただきカストリ書房は移転しました。
吉原の片隅に人の流れが生まれたことで娘の目にも留まり二人は出逢いました。
令和元年に浅草の小さな料亭で宴を挙げ、玉の様な女の子が誕生し、すくすくと育っています。
カストリ書房の歴史は我が家の歴史でもあります。
次の店舗は、お茶を飲むスペースもあるとのこと。ふらっと立ち寄り、語り合い、皆さんの憩いの場所となれたら素敵だと思います。それぞれの歴史に細く長くカストリ書房が寄り添っていけますようにと応援しています。
都築響一 様(編集者、写真家)
カストリ書房はもともと店主の渡辺豪さんが、かつて国内全域に偏在した娼街(遊廓、赤線など)の歴史取材で得た成果を発表するべく設立された個人出版社。原本の発行から60年ぶりとなる2014年に復刻された『全国女性街ガイド』を初めとする出版活動を続けると同時に、2016年に吉原の片隅、7畳ほどの小さなスペースに初代店舗を開店。2017年に現在の、風情たっぷりの二代目店舗に移ってきた。
その現店舗が定期借家契約の賃貸期間満了ということで、今月で閉店。渡辺さんによれば「労多くして益少なしの実店舗は閉じてネット販売に専念しよう」と意志を固めていたが、人の縁、地の縁が重なって同じ吉原遊郭内に移転先が見つかり、8月から三代目のカストリ書房が開店するという。
8月にオープンする新店舗では軽飲食も提供されるそうなので、さらに楽しみ。なにせ吉原のソープ街って歩き疲れたからコーヒーで休憩、とか思って喫茶店に入ってみたら、そこは「喫茶店という名の風俗案内所」だったりするのが当たり前の土地柄なので。
東海遊里史研究会 様
吉原に遊廓書店開業!2016年だったでしょうか。渡辺さんからそう聞いたときは、本当にびっくりしました。このご時世に書店を開業するというだけでも勇気のいる決断なのに、遊廓専門書店だなんて!
遊郭というコンテンツの魅力を、仕事にする!渡辺さんの決意と勇気に感服した次第で、そういうわけでカストリ書店開業時のクラファンにわたしは参加させていただいたのでした。
それ以来、東京訪問時はカストリ書房を訪問することが何よりの楽しみだったんです。
しかも、ついに今年、渡辺さんのご厚意により、東海遊里史研究会としては初の県外イベントを、しかも吉原で開催するという、とても貴重な経験をさせていただきました。感謝してもしきれない思いです。
このたびのカストリ書房移転に際して、新たなステージに上るカストリ書房と渡辺さん、これからも遊廓コンテンツの集積地であると同時に発信地でありますように。そして、移転の折にはぜひぜひ遊びに行かせてください!楽しみです!(同会 春は馬車に乗って)
紅子 様(色街写真家)
カストリ書房がある吉原、私はかつてこの街でソープ嬢として働いていました。
もう20年近く前となります。汚れた仕事、闇の世界という見方もある性産業の世界。引退後シングルマザーとなってからは、風俗嬢であった過去を恥とし、ひたすらに隠して生きてきました。
ですが、40代も後半となった今から4年ほど前、偶然カストリ書房の存在を知ることに…。
遊廓の歴史を伝える書店が存在することに衝撃を受け、カストリ書房で売られている本や店主渡辺豪さんの本を読みあさり、自分が働いていた吉原という街の歴史、また日本各地に残る遊廓や赤線の歴史を知ることに。性風俗の世界が「文化」として語り継がれていることに涙しました。私も自分にできる表現手段で性風俗という世界を文化とともに伝えていきたい、そう願うきっかけとなったのでした。
遊廓の研究者だけではなく、私のような過去を持つ者、またさまざまな思いを抱えて現役で働かれている女性たちにとっても、この書店の存在は「性風俗を全く別の視点から知る」という点において、大きな役割を果たしているのではないでしょうか。
渡辺憲司 様(立教大学名誉教授)
ご協力へのお願い
カストリ書房が移転し新たな思いで船出する。
カストリ書房は今や買売春史の研究者にとって、無くてはならない拠点である。
もとより性に関連する研究もしくは関心の持ち方には、きわめて微妙な距離感がある。多様な視点があると云っていいであろう。
しかし、いかなる視点を持とうとも、もっとも大切にしなければならないことは、ヒューマニズム精神の保持である。
店主の渡辺豪君は、カストリ雑誌の収集のみならず、今まで陽の目を見ずに放置されてきた遊女墓の研究でも知られている。彼の持つ高いヒューマニズム精神は、新たな歴史研究の分野を切り開いていくに違いない。
新たな店も吉原に近いと聞く。カストリ書房が吉原のみならず、多くの地域に存在した遊女達へ真の意味での「やさしさ」をもった<哀切の拠点>となることを切に希望する。
新たな出発への祝意と応援をこめて是非この企画に賛同していただきご協力をお願い致します。
*1:市川伊三郎『新吉原沿革略史』(昭和11年、新吉原三業組合取締事務所)
*2:主なものを以下に挙げる
『毎日新聞』2016年9月26日付「性風俗史よみがえる」
『朝日新聞』2017年3月14日付「列島をあるく イマトキ本屋事情」
『読売新聞』2017年5月11日付「復刻本、貴重な文献で注目 遊郭の世界 専門書店」
『毎日新聞』夕刊 2020年1月27日付 「吉原 大衆の裏面史眠る街」
『読売新聞』夕刊 2021年6月25日付「旧遊廓 姿変え後世に」
『読売新聞』2017年掲載日不明「とれんど 紙で歴史を紡ぐ」
NHK-BS『「にっぽんディープ紀行 “昭和”を探して〜キャバレー、遊郭 その周辺〜」』(2021年2月14日放送)
Abema Prime「本屋のミライ…急増する“独立系書店”、その強み 遊郭専門の「カストリ書房」店主「大型書店で対応しきれない“欲求”がある」」(2022/09/17配信)
*3:橋本玉泉『色街をゆく』(2009年、彩図社)
*4:2019年、筆者が浅草防犯健全協力会(吉原のソープランド経営者で構成される組合)に取材して確認
*5:加藤晴美『遊廓と地域社会 貸座敷・娼妓・遊客の視点から』(2021年、清文堂出版)
*6:藤目ゆき『性の歴史学 公娼制度・堕胎罪体制から売春防止法・優生保護法体制』(1997年、不二出版)