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戦後75年。記憶が途絶え、記録物が捨てられようとしている。
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「永遠の図書室」誕生サイドストーリー1:学生時代から30年の時を経た縁

こんにちは。主宰の漆原です。

クラウドファンディングの実施と、NHKでの放送のおかげさまで、以前より多数のご来館をいただいております。本当にありがとうございます。

今日は、この「永遠の図書室」誕生に至ったサイドストーリーをご紹介させていただきます。

 * * *

プロジェクトページで、戦争に興味がなかった私(漆原)がこの場を開くことになった経緯を少しだけ紹介させていただきました。

文中の「大学時代からの先輩で、個人で戦争研究をしている先輩F氏」についてです。
F氏は、藤本真佐(ふじもと しんすけ)さんです。

藤本さんとの出会いは、今から30年前、私が大学2年生、20歳だった時に遡ります。

当時、80年代後半。まだインターネットもない頃。バブルの残り香がある頃。

藤本さんが立ち上げた学生企業に私も参画させていただいたのが始まりです。

 

その後も、ご一緒に仕事をした時期もありますが、それほど継続的に会ったりするわけではありませんでした。

藤本さんがバリバリとお仕事をされる傍らで、戦争・戦史の研究を個人的に取り組んでいること、年末年始休暇や、夏季休暇時には、戦地に赴いていることはSNSを通じては知っていました。

この建物を手にし、当時の私にとっては処分すべき「残地物としての図書・手記」の始末に悩んだ時に、真っ先に顔が浮かんだのが藤本さんでした。

そこからの経緯はプロジェクトページに書きましたが、詳細については、「ソトコトオンライン」で先日公開された記事をご覧いただけましたら幸いです。

https://sotokoto-online.jp/3591


Photo by Shinji Takeuchi

「永遠の図書室」の名前は、確か今年1月のはじめ、2人でディスカッションして決めました。

その時に藤本さんは僕に言いました。

「(故)飯塚浩さんは、まずはお前(漆原)を呼んだんだ。そして、飯塚さんがお前を使って、俺を館山まで呼んだんだ」

私が本当の意味で覚悟を決めたのはこの瞬間でした。

 

蔵書の仕分けや展示方法は藤本さんに大いにアドバイスをいただきました。

内装工事は地域の仲間達と多くの部分をDIYで創っていきました。

オープン直前の清掃と仕上げ作業には、僕と藤本さん共通の前職の仲間達が泊まりがけで来てくれました。

 

そうして、3月23日にプレオープンに漕ぎ着けたのでした。

 

この翌週、地元新聞の「房日新聞」に藤本さんが書いた寄稿文が掲載されました。

藤本さんのnoteでその全文が公開されていますので、ぜひご覧いただければと思います。

https://note.com/fujibow/n/n222ba69ee46e

また、今回クラウドファンディングをやろうと言ってくださり、ご尽力いただいたのは、藤本さんのさらに先輩のIさんでした。

 

大学時代の出会いから30年を経て、このプロジェクトが始まったこと。

過去の縁がまた繋がり、あらためて深まっていくこと、そして新たなご縁が紡がれようとしていること。

日々感謝しながら、新たな出会いを楽しみながら、長く続けていきたいと考えています。

これからも見守ってください。

 

漆原秀

2020/12/13 12:46