─「月と猫」や「右から二番目の星」など、田川さんの作品では、独特な青と黄色の色合いが神秘性をかもし出し、本当に月明かりの中にいるような気持ちにさせてくれます。
僕には、少数派色覚症状があります。まだ幼い頃、母に「この色は何色?」と聞かれ、自分が感じた色を答えると、少しがっかりしたような表情を浮かべていたのを覚えています。緑、茶、赤が同じように見えることがよくあり、灰色とピンクもよく間違えていたからでしょう。色弱や色盲などと言われ続け、色の名前を言葉にするのがどんどん辛くなり、自信をなくしていったのもその頃です。
しかし、高校時代の油彩画の授業中に、恩師が興味深そうに僕の絵を見ながら「お前はすごいなぁ……こんな色に見えるのか」とおっしゃいました。その言葉にはあたたかさが込められていて、自信を取り戻すきっかけにもなりました。僕の絵にとって、最大の魅力は色だと自負しています。なぜなら、多くの人が見えない色を、僕は見ることができるからです。昔は欠点にしか思えなかった自らの特徴を、僕の絵を見て涙する方や、感動してくださる方たちと接するうちに、「自分にしか出せない色」なのだと気付くことができました。
また、18歳の時には突発性難聴を発症し、右耳の聴力をほとんど失いました。心の内面を映し出しているようだと言われる、漆黒の闇と淡い光の表現は、それらに影響を受けていると思います。
─突発性難聴のときのお父さんとのエピソードがありますね。
突然の病にかかり、1か月の入院生活を強いられた僕のことを、父はとても心配したと思います。父から「退院したら何がしたい?」と聞かれ、「自分の身長くらいある大きな絵を描きたい」と答えると、特注でS100号の大きなパネルを買ってくれました。苦しい生活の中、自営業の父にとって、このパネルは高額だったと思います。しかし、退院後、絵の制作はなかなか思うように進まず、次第にその絵から僕の気持ちは離れていきました。
描きかけのまま放置し、半年ほどたったある日、泥酔して帰宅した父に、「お前はせっかく買ってやったパネルを、どうして完成させないんだ!!」と怒鳴られました。僕は、苦し紛れに「酔っぱらってる人に何て言われても、心に入って来ん!!」と言い返してしまい、その一件から父と距離を置くようになってしまったのです。その後、僕は上京し、父がこの世を去るまで心の距離は開いたままでした。しかし、亡くなったあと、父が近くで見守っていてくれるような気がするようになりました。父がいないからこそ、強く存在を感じるのです。
思い返せば、父はいつも僕の絵の活動を楽しみにしてくれ、協力してくれました。学費が高いと評判の高校の美術科に入ると言った時も、地元の公募展で県知事賞を受賞した時も、デザイン事務所に入った時も、そして、絵の活動のために上京すると言った時も、父だけは賛成して喜んでくれました。
だからこそ、僕は「月と猫」の出版に向けて頑張ることができたし、2013年には、ついにあの大きなパネルの制作に取りかかりました。父と作り上げるこの絵を、世界中のいろんな方に見てもらいたい、そして「月と猫」を父に見てほしい。そんな風に、描くことが楽しい日々が来るなんて、以前の僕には想像もつきませんでした。描くことが楽しく、描くことが僕の人生。そんな気持ちにさせてくれた父に、心から感謝しています。
そうやって2014年に完成したのが、最初にお話しした「Into the Woods」なのです。