image

アートと音楽と朗読で紡ぐココロのコンサート
「月と森の記憶」の映像を記録に残し、
いのちと向き合う方々に届けたい

田川誠インタビュー②

くすのきと、森と、精霊たち

─劇団四季やレ・ミゼラブルなどでミュージカルファンにはおなじみの井料瑠美さんですが、この調布の公演では不思議なつながりがあるそうですね。

公演会場は「くすのきホール」です。このことを瑠美さんにお話しすると、「なぜ、くすのきという名前なの?」と聞かれたんです。くすのきは調布市の「市の木」だそうですが、調べてみると、実は、くすのきをシンボルにしている自治体は結構あるんですよ。僕の故郷の長崎県や瑠美さんの故郷の宮崎県にも、くすのきを「市の木」にしているところがあります。ワークショップでお世話になる「お茶と食料雑貨Lasah」で扱っているお茶の故郷・台湾でもそうです。

─そう考えると不思議なご縁ですよね。それで、さらにみなさんの中で、調布で、くすのきで、森で……と盛り上がったんですね。

そうなんです。この公演では、調布のみなさん、そしてキャストのみなさんのために、大きな森をつくろう、と(笑)。僕にとって故郷の森の記憶は、学生時代に制作のために落ち葉をたくさん拾い集めた思い出。瑠美さんにとってくすのきは、お母さんの腕の中に抱かれるような、包み込まれるようなイメージだそうです。調布も深大寺の周辺などに素晴らしい森がありますよね。「鎮守の森」として、僕が今まで描いてきた「精霊」が確かにいるような気がしてしまいます。

─田川さんの作品に描かれる森と精霊たちは、とてもあたたかいですね。

広報でも使っている「Childhood」という作品は、2006年に長崎県美術展覧会に出品したものですが、僕は当時、どうしても精霊が描きたかったのです。子どものことを思う親の気持ちや、子どもの近くに漂っていて、いつも見守ってくれている大きなあたたかい存在、そうした「目には見えないけれど確かにそこにあるもの」を描きました。

「Childhood」(の1枚)

僕が今回、調布のまちで一番表現したいことは、この絵の中につまっています。実は、この絵にはもう1枚あって、2枚でひとつの作品なのですが、公演では、その1枚の前で井料瑠美さんに、もう1枚の前で鹿嶋敏行さんに歌っていただこうと思っています。

一番癒されたかったのは、僕だった

─その鹿嶋敏行さんとのエピソードがあるのが「右から二番目の星」。1月に鹿嶋さんが出演するアウトリーチコンサートのメインビジュアルにもなっています。

上京して本格的に活動していく中で、鹿嶋敏行さんと出会いました。それからというもの展覧会の際には鹿嶋さんとのコラボレーションライブは大切な要素の一つとなりました。鹿嶋さんが僕の絵に合わせて歌ってくださったり、僕が鹿嶋さんの絵を描いたり……毎度嬉しくて仕方なくて、それがお客様にも伝わるのがよく分かります。今ではなくてはならない表現になっています。鹿嶋さんのライブに合わせて描いた作品のひとつが「右から二番目の星」です。

「右から二番目の星」

ディズニー「ピーター・パン」の中に同名の曲がありますが、2010年の鹿嶋さんのライブでこの曲を聴きました。会場がかなり暗い状態の中、灯りに照らされた鹿嶋さん。共演者の方のギターの音色がきらきらと星のようで、そこに鹿嶋さんのあたたかく深い歌声が重なり、おおげさではなく本当に星空が目の前に広がりました。とても美しい星空を、鹿嶋さんと眺めているようでした。その時の感覚が忘れられず、2011年11月、自分の展覧会とのコラボステージの際にリクエストしました。この年の9月に父が天国に帰り、また当時同棲していたパートナーとも別れて家を出た直後だったこともあり、僕は絵もほとんど描けないほどボロボロの気持ちでした。「一番癒されたかったのは僕だった」。そんなライブだったので、せめてもの思いでこの絵を描きました。この絵は、鹿嶋さんとイメージの星空を一緒に眺めた記憶であるとともに、画詩集「月と猫」を描き始めた頃の作品でもあります。

─「月と猫」は、2013年にクラウドファンディングに成功するなど、多くの方の共感を得て、2014年に出版された、田川さんの初めての作品集です。

父が亡くなる前月の8月に、二子玉川の「ナチュラル・クルー」というお店で展覧会を開催しました。そのときに展示したのが、のちに「月と猫」の最後のページとなる1枚でした。どういうわけか、この頃から、僕の夢にはたまに「猫」が登場していたのです。その展覧会を終えた翌日の夜、母から父が亡くなったという連絡が入ったのです。11月に「お茶と食料雑貨Lasah」でも展覧会がありましたが、正直、「右から二番目の星」以外の作品は、絵を描く喜びの心を失っていたように思います。

2016/02/05 20:38