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ホロコーストや強制収容所の経験を通じて、
苦境や困難の中で人生を生き抜くことの大切さを伝える1冊
『What Papa Told Me(仮:パパが教えてくれたこと)』を翻訳出版したい!

フリースクール東京シューレ代表・奥地圭子さん(プロジェクト応援インタビュー!)

こんにちは、サウザンブックスです。発起人の土橋さんが長年ボランティアとして携わっている、フリースクールの東京シューレ代表の奥地圭子さんに、プロジェクト成立に向けた応援インタビューにご協力いただきました!
 


-近年、フリースクールへの注目が高まっているように感じます。

奥地:今、フリースクールに関心がすごい向いていて、東京シューレも以前は月に1度の説明会だったのが最近では2回になっています。また、このところ小中学生の親の方の見学が増えています。前は高等部が多かったんですけど。特に小学生が今増えています。


-どうしてそうした流れが出てきたのでしょうか?

奥地:ひとつには、2年前に教育機会確保法(「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」)が成立したことですね。この法律は不登校の支援を目的にしています。今まで不登校というのはまったくないことにされていたんですね。学校に行くのがあたりまえで。学校に行けなくなったら学校に戻すのが長い間の政策だった。
子どもは何らかの事情で学校と距離をとっているのに、そのまま学校にいる方が追い詰められ破滅にいたる、それを戻しましょうというのは、子どもにとってろくなことはなかったんです。苦しいし、大人不信だし、学校に戻れない自分がダメ人間だと思って死にたくもなっちゃうし。社会からの偏見もありますしね。そうした状況を変えるために、私たちは仕組みを変える必要があるだろうと、2009年に新しい法律を求めて運動し始めたんです。

今の憲法ですべての子どもの学ぶ権利を保証しているのはとてもいいことなんですけど、それは学校教育法1本しかないんです。だから学校に戻しましょうとなるんです。それを多様な学びがあってもいい、社会もそれを応援してその道も不利にならない法律を求めたんです。そして2016年にこの法律ができたんです。学校をメインに考える議員さんが多くて、そのまま通らなかったんですけど、多様な学びを支援するという点は通って、休むことや学校以外の場が認められて幅が広がった。

それと9月1日や春休み、連休明けに子どもが亡くなるのかというのもマスコミがかなり取り上げてくれるようになりました。学校が苦しいのに学校に行かなければいけないのがあるので、行き詰まって死ぬしかないとなるんです。その法律で不登校を支援する「責務」があるという言葉が入ったので、今は小学生の子どもを持つお母さんたちも、学校以外の場所もありかなという空気になってきています。

ただ多くの先生も法律ができたことをご存じないんです。少し前にわざわざ青森から東京シューレを見学に来た先生すら、知らなかったんですよね。周知が足りてないんです。それでも知っている人には話が通しやすくなった空気があります。学習指導要領にまで「不登校は問題じゃない」と書いてありますからね、これは昔では考えられない変換です。
 

東京シューレにてお話を伺いました


-本当はそれで子どもも親もみんな楽になるはずですよね。

奥地:そうですね。だから親の方も学校以外のところもどんなところか見てみようという動きがあって、子どもも最初は不安なんですけど、実際来てみると、なんだ適当で遊んでるんじゃん、となってここなら来たいとなるんです。

私も自分の子どもが不登校になったのがきっかけでこの活動を始めたんです。やっぱり選択肢がなくて悩んじゃいました。子どもの立場に立って何ができるのかなと初めて学校以外の場はどうできるのかと考えることができたんです。それから私たちもやっと30年活動を続けてきてここまで来たんだな、と思っています。


-海外はどうなのでしょうか?

奥地:海外は日本よりはるかに進んでいて、公的な機関はもちろん、それ以外のオルタナティブな、シュタイナー教育とかモンテッソーリとかフレネとかホームエデュケーションとかいろいろあるんです。法的にも税金で支援されていたりもします。そういう意味では学校中心の日本は遅れていると思いますね。

子どもっていろいろなのに、学習指導要領1本で、学校も選べてないんですよね、何年何組に決められて。大人だったらいろいろ幅があるのに、子どもは相当苦しい状態ですね。だから学校行かない子どもが出てくるのは自然かな、と。
私なんかの時代は学校が文化の中心という感じで一番楽しいところだった、家事を手伝わされるよりかはね。それが今は手元で情報を得られてしまうから学校に行く意味ってなんだろうと思います。友達もその1つだとは思うんですけど、今の子どもたちにとってはそれも空気を読まなくちゃいけないとかものすごくエネルギーを使うことなんです。ニーズがある子には行きやすいかもしれないけど、たいていの子は我慢してるから、限度が来ると学校から距離を取りますよね。

私は不登校は社会的な問題だと思っています。70年代くらいから不登校は増えて、去年が13万4千人と、高い横ばいが2000年代から続いている。小中学生に限って1年に1万人。全国でそうなのだから、これは時代的なものとしかいいようがないです。制度が合っていないから、これだけの人が不登校になっているんじゃないでしょうか。
フリースクールは来なきゃいけないところじゃないんです。今の時代にあった形というのを政府にはもう少し考えて欲しくて、税金の支援がないために、親の人もかなり高い負担をしないといけない状態です。小中学校は負担がないのに、フリースクールに行くとなるとお金がかかるというのはおかしくない?という思いがあって、さっきの法律にもその点を応援してもらおうとしたのですが、「経済支援に努める」にとどまってしまいました。今はその修正のための運動に文部科学省に行ったり議員連盟に行ったりして、公的な支援によってフリースクールに通うことが不利益にならないのが当然であろうと考えています。



『What Papa Told Me』を手に取りながらお話いただきました



-そういった意味では社会への可視化が必要なんでしょうか?

奥地:かなり可視化されてきたと思います。34年間、マスコミを断らずに取材を受けていて、子どもたちにも話をしてもらったりして、かなり知ってもらえるようになりました。

シューレの子は堂々と出てくれています。当事者の話は大きいですよね。あと、フリースクールの全国大会などで、去年は将棋の羽生善治さんに講演をしてもらったり王子の子と対戦をしてもらったり。今は変わり目のところですね。学校にこだわらない方向に。

フリースクールがどういうところなのかご存じない人もまだまだ多いと思うんです。フリースクールというのは「学校以外の子どもたちの居場所・学び場」で、学習塾のような学校を補完するものではなく、学校のある時間にやっていて、主として学校に行っていない人たちが通っています。でも、不登校だからというのではなく、活用したかったらしていいという場所。海外から戻ってきた人や、ゆっくり人生探すんだっていう人もいます。国もそうした場所で過ごすのを、1992年という早いうちから出席日数にしています。1学期に1回くらい学校に文書で報告書を出して。それから通学定期を出してくれるよう大運動もして1993年から使えるようになっています。

中身としては学習指導要領には縛られないで、子どもの興味・関心を大事にしながら作っていきます。東京シューレならミーティングをして話し合いをしながら、どんなことをやってみたいとか問題をどう考えたらいいかを子どもたちで考えていく。
学びたいことが出てきたら、スタッフが講師を探したり、何曜日のいつにしようと設定していくんです。学校の時間割と違うのは、上から決められた内容をするけど、フリースクールでは子どもたちがやろうと思ったものがコマになっていて、どれにでるのかも子どもが選ぶのが大きく違うところです。
通い方も自分のペースでいいし。だから、毎日朝から夕方までいる子やゆっくり午後から来る子、週に何回か来る子、さまざまです。バイトしながらもある。たぶん一番面白いのは子どもたちが作っていけるというところで、新宿なら「何かやる日」、王子なら「いろいろタイム」というのがあって、体験的な日というか、学校で言えば総合学習的な時間ですね。

なんでもいいんです。昼寝なんていうのもあるし、今「不登校新聞」の編集長している石井(志昂)君なんかは、四つ角ごとに棒が倒れた方に歩いていくという企画をしてましたね。日常以外では、石井君たちは4年半くらいかかって、どう作れるのか人を呼んできて聞いて、長野県にログハウスを作りました。160何通お手紙を書いて土地を探してね。そのとき小学生も混じって伐採からやって。ずうっと使っていますよ。
他にも新宿では富士の樹海に行ったこともありましたし、この前王子の子たちはシンガポールに行ってきました。そういう大きな企画には実行委員会というのができて、子どもがやりたいという子どもで作って実らせていく面白さがあって、カリキュラムがある学校ではできないことですね。そしてそれらを通して多くのことを学んでいくんで、個性が伸びていくし意欲も伸びて行きますね。


-いろいろな方法があって、どうやってもいいじゃないかということですよね。

奥地:そうですね。王子のもうママになってるOGが小学生のころ取材を受けて、みんな学校に行っているのにあなたは行かないことをどう思っているの、と聞かれて、「だって富士山を登るのだって一直線もあるしジグザグ休みながら登る方法もあるから、私はジグザグして行った方がより途中が楽しめると思っているの」なんて言ってマスコミの人を驚かせていましたよ。
今日も、マサキ君って子がここに来てたけど、4年半くらいバイトをして鍵を任されるようになって、それから1年半予備校に通ったんですね。それが今日、奥地さん大学に受かったよって教えてくれたんです。心理学を学びたいそうです。

だから、フリースクールでは進路がダメなんじゃないかと思っているお母さん方も多いのですが、全然そんなことない。同じくらいの世代で、高認を取って大学に行って、不登校の経験を役に立てるということでスクールソーシャルワーカーになった人もいました。そういうふうにシューレのあと学校制度を使って社会に出る人もいれば、まったく学校制度を使わないで社会に出る人もいます。たとえば自分で出版社をやって、今は「ストップいじめ!ナビ」というのを荻上チキさんと一緒にやっている王子シューレの出身者の須永(祐慈)君なんかは、そこの副代表としていじめのことを講演して回ってるんですね。

彼は小学校4年からまったく学校に行ってないですからね、それが今では(講演で)毎日のように学校行ってますよなんて言ってますね。不登校の経験を生かして仕事をする人もいるし、全然関係なく証券会社に勤めたり保育士になったりいろいろです。そういうことを知ってほしいですね、不登校したら進路はダメだというのは思い込みなんだと。
そういう意味では理解がまだ薄い社会だと思います、少数派というのは。そういうときに理解してくれたり気持ちを同じにする人出会うというのが大事だと思うんです。出会うのがコツで、子ども同士も親同士も出会う。そうすると孤立したりはならないで、やっていけると考えられるんです。

発起人の土橋さん(左)と、奥地圭子さん


-そういった意味で今は過渡期にあると?

奥地:そうですね、過渡期というか変わり目ですね。ずっと変わらなかったのが。2014年に安倍首相が王子シューレを見に来たんですよ、突然。そこらへんから変わってきた。

それまでフリースクールの窓口というのはなくて、文科省なんて学校にしか目が行っていなかったから、担当官もいなかったですからね。それが2014年に担当課ができて、その翌年に国がフリースクール調査をして、約4千人が通っていることがわかった。実際にはもっといるんですけどね。年頭所感でも4回も触れてくれているんだけど、フリースクールに経済的な支援がまだ足らない状態。頭の中「べき論」は現実を変えない。
少数派の課題というのは共通していて、なんで少数派はいつも偏見や差別を受けなければいけないのか、苦しくなって命を絶つこともある。社会にはいろんな方法があるはずですのにね。
 

-最後に、そうした状況が変わりつつある中で、フリースクールのこれからの役割はどのようなものになると思われますか?

奥地:社会が豊かになるには多様でさまざまな生き方、学び方があってこそだと思うんですね。今の日本は一見多様に見えるけど、本当の多様ではないんです。だからフリースクールが増えるとかフリースクールがもっと充実して不安なくやっていけて、もっともっと社会の中で見えるようにして、それでもいいのだという状況を作り出す。

そして、そこに実際の支援がなければならない、と。社会のお金がフリースクールにも出されるようになるというのは、評価の問題と絡んでいるので、さまざまなフリースクールがあるし、国の上からの評価となるといっしょくたに決めてしまうことになるので、それはダメだと思います。
社会から見て、社会が応援するのが当然だよねという意識を作り出すというのが私たちにとって大事なことになりますね。フリースクールというのは市民がやりだしているものなので、オランダのように、こういう教育があったらいい、やりたいんだというのを思って作り出す人がいる。そしてそれを選ぶ人がいて、ダメだったら淘汰されていく。そういうふうに市民が主体となってフリースクールをやっていく道もある。また、今は公民連携という道もありますね。

シューレは北区や世田谷区とやっていて、世田谷では「ほっとすくーる」という適応指導教室を委託を受けています。地域のお母さん方には無料であることが大きいですね。それで中身はフリースクールですからね、よろこんで来られています。
もちろん文化が違うからこんな言葉でひっかかるのか、ということもあるんですけどね。それでも一緒にやってくると次第に変わってくるので、公民連携することで公を変えるということもフリースクールの役目かなと思います。行政が持っている良さと、民間が持っている良さが発揮される意味がありますよね。
 


奥地圭子(おくち けいこ)
1941年生まれ。4歳の時、東京大空襲に遭い、父の郷里広島で育つ。 1963年、横浜国立大学学芸学部卒。その後22年公立小学校教員。

1984年「登校拒否を考える会」設立、現在まで代表。
1985年「東京シューレ」開設、代表(1999年NPO化し、現在まで理事長。
1990年登校拒否を考える各地の会ネットワーク設立代表。(2008年にNPO法人登校拒否不登校を考える全国ネットワークとなり、現在まで代表理事。
1998年NPO法人全国不登校新聞社設立、現在まで代表理事。
1999年NPO法人チャイルドラインセンター理事(~2010年)。
2001年NPO法人フリースクール全国ネットワーク設立。現在まで代表理事。
2006年学校法人東京シューレ学園設立、現在まで理事長。
2007年東京シューレ葛飾中学校開校、校長 2018年3月まで。
2012年「多様な学び保障法を実現する会」設立、現在まで共同代表。
2015年文科省「フリースクール等検討委員会」委員就任。
2016年東京都「不登校高校中退対策委員会」委員。
2016年、東京学芸大学「多様な学びと子ども支援」講座非常勤講師。

〈著書等〉
『教育機会確保法の誕生-子どもが安心して学び育つ-』(共著)東京シューレ出版2017年

『フリースクールが『教育』を変える』東京シューレ出版2015年

『僕は僕でよかったんだ』(共著)東京シューレ出版2012年

『子どもをいちばん大切にする学校』東京シューレ出版2010年

『不登校という生き方』日本放送出版協会2005年

『登校拒否は病気じゃない』教育史料出版会1989年

NPO法人東京シューレ

 

 

 

2019/02/25 14:55